(前編のまとめ)

着物で旧東海道をガイドさんと歩く藤沢宿ツアーを企画したニコニコは、待ち合わせ場所に行くと、集合時間より早く着いたにも関わらず、自分が一番最後の到着であった。企画者は普通一番早く行くものかもね、ま、エエか💦

一行は浅葱庵さん、grecoさん、歌亜耶さん、ニコニコ、ガイドさん。皆、初対面のメンバーだが、和やかにおしゃべりをしながら、白旗神社から義経の塚、飯盛女たちのお墓、藤沢宿の名士の菩提寺等を巡り、穀物倉庫(麦)を改造した天然酵母のパン屋さんと松露(松の根元に生えるきのこ)が入った羊羹の和菓子屋さんがお休みであることに少し残念な気持ちになりながらも、曇り空の少し涼しい天気に助けられ道中を歩いていた。とは言え、夕方から雨予報の日であったが、昼近くなると日が照り、暑くなってきたのだった。


grecoさん

https://ameblo.jp/greco2017/entry-12854769711.html

歌亜耶さん

https://ameblo.jp/utaaya-kimonogasuki/entry-12854837213.html

浅葱庵さん

https://ameblo.jp/asagiitigo/entry-12855023292.html






歩く


さて、藤沢宿は昔は商いの町だったそうで、いまでも現存する蔵がいくつかありました。前編の関次商店さん(パン屋さんと花屋さんの建物)もですが、肥料や麦を扱っていたお店もありました。

にやり 藤沢では肥料を買って、作物が収穫できたら、白旗神社のお祭りの時に肥料代を作物で納める白旗勘定?という藤沢独自の制度がありました。by ガイドさん

にやり こちら↓は二階の出桁が張り出している造りが特徴ですね


にやり 本陣がこのあたりにありました。本陣を経営しているのはその地方の名士でした。大名なんかが宿泊するのですが、本陣は無料で泊まれるんです。江戸時代の大名の懐に余裕がある時代は大名も宿泊のお礼をしたようですが、幕末になってきたらそうも出来なくなってきたでしょう…(^_^;)

にやり 元履物屋さんです

にやり こちらは紙業を営まれた桔梗屋さんです。桔梗屋さんの建物は現在市のものとなっています。

照れ 蔵の町並みは保存するのは難しいのでしょうか? 
にやり (先程の関次商店にも取り壊された蔵があったり)個人商店の建物を市が維持することは難しいのでしょうね〜

※町並みのお蔵を公開したりするイベントもあると、後から調べてわかりましたにっこり



にやり 問屋場跡です。ここで人馬を替えて荷物を引き継ぎました
(前回 その1のブログに書きました東海道五十三次の「次」にあたります)



この奥に徳川将軍の藤沢御殿がありました。
お堀がめぐらされ、六千坪に渡ったそうです。


そうこう歩いているうちに遊行寺門前までやってきました。



これ、済美館(公民館)でいただいたチラシにあった、遊行寺門前町と小栗判官の浮世絵。後ろの鳥居は江の島一の鳥居で、かって遊行寺近くにあったそうです。

にやり (白旗神社あたりでガイドさんがおっしゃったのですが)江の島、鎌倉、川崎大師に藤沢宿の寺社入れて巡る3泊4日の女性だけのツアーがあったそうです。

源義経、小栗判官は今でいうヒーローですからねえ。




にやり こちら通称 遊行寺、本当の名前は清浄光寺。時宗の総本山にあたります。
清浄光とは阿弥陀如来の十二光のひとつです。
皇室や徳川家にも縁の深いお寺で、明治の神仏分離令からも逃れ、お寺の中に神社も祀っています。


脇にあるのは榜示。東海道などで境界を示す役割をした柱のだったそうです。



このいろは坂を上ってお寺に行きます。石畳がちょっと歩きにくかったです汗うさぎ



にやり 時宗の開祖一遍上人です。自分の所有物を捨て、念仏札を配り、踊りながらひたすらに南無阿弥陀仏を唱えて極楽浄土へ導く教えを諸国に遊行してまわりました。


まずは御本尊にご挨拶。ガイドさんはお寺に入らせていただくときのお賽銭の大切さも説明してくださいました。

キョロキョロ 私、世の中にはいろんな宗教の方がいらっしゃるんだからと(←ママ友はクリスチャンが多い)、一緒にハイキングとか行った人とかにこれまで寺社でお賽銭とか言わなかったし自分もしたりしなかったりだったのですが、その施設を使わせていただくのですからお賽銭させていただくのは当たり前のことですよね〜。目からウロコ、ポロポロでした。


ニコニコ 本堂ではお坊さんが何人かいらして、総本山だなあと思いました。おそらく地方のお寺から修行に来ておられる方もいらっしゃるのでしょうね。




本堂と梵鐘。
この鐘は南北朝時代につくられましたが、戦国時代に焼き討ちにあい、北条氏により持ちさらわれてしまいました。その後江戸時代にお寺を再興する際、小田原城主から返還してもらったそうです。


江ノ島の一の鳥居の礎石は現在宝物館前に置かれています。


境内の大銀杏の大木。お寺が出来た14世紀のものだと伝えられているそうです。


にやり 歌舞伎で有名な小栗判官と照手姫のお墓もこの遊行寺にあります。

にやり 寺内の池は徳川綱吉公の生類憐れみの令の時に金魚を放したんですよ。

照れ 江戸から金魚運んできたの大変じゃなかったんですか〜はてなマーク(←またアホな質問を💦)



にやり💦 さて、神仏分離の憂き目に遭わなかった遊行寺には宇賀神を祀った神社があります。宇賀神は江の島にもいらっしゃる体が蛇で老人の頭の、仏教の弁財天(吉祥天の異名)とも関係の深い神さまです。このあたりは数年前に参道が整備され、紫陽花も植えられました。数年先には紫陽花の名所になるかもしれないですね。


水が流れる静寂でとても良い場所です。山の水でお金を清める銭洗いをすることも出来ました。


照れ ところで事前にガイドさんに、一行に茶人さんがいて野点をしたいと希望されているのですが?と相談しましたら、お寺から神社に向かうこの参道を推薦してくださいまして。


浅葱庵さんが野点をしてくださいました。お茶菓子は最初藤沢の豊島屋の松露羊羹を考えてくださっていたのですが(ガイドさんもこちらのお菓子を皆さんで分けましょう、と思ってくださったみたいなのですが)、浅葱庵さんには松露羊羹を切り分けるの大変だと思う、と申し上げまして、それより何よりお店がお休みでして💦

ニコニコ 持って行った川崎宿のよねまんじゅう(鶴見・清月製)を使っていただきました。浅葱庵さんが持ってきてくださった法多山イロトリドリに使ったお菓子もその時にいただいた方も、家に持ち帰った人も。


この中の茶碗のひとつがエストニアのタリンで買われたものだとおっしゃっていました。


ガイドさんが撮ってくださっていた写真。

ウインク 無心にお茶碗を清められている浅葱庵さん。
ふと通りがかった方がむっちゃお茶を飲みたそうにされていたという…。

浅葱庵さん、重いお荷物をお持ちいただき、野点の席の機会を設けてくださり、ありがとうございましたニコニコ
清浄な空気の中で自然の音や風を感じながらいただいたお茶、心にしみて味わい深く感じましたm(_ _)m

歩く
遊行寺前、藤沢宿交流館の高札場跡です。御触書が書いてあります。

grecoさん発案で記念撮影。

ニコニコ

 こちらでガイドさんとはお別れして、バスに乗り、駅に向かいました。ガイドさんは箱根駅伝遊行寺坂?のバス停まで送ってくださり、バスが発車するまで手を振ってくださいました。

ガイドの寺田さん、大変丁寧にしてくださり、ありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします。




昔の人は着物で何でもこなしていました。旅も当然着物。もちろん旅用の履物もあったでしょうが、道路も未舗装、移動も車などなく、不便な旅であったでしょう。

便利になったという現代。特別なイベントの服となった着物。

少し昔の人々の生活に触れながら、昔の道を歩いてみた藤沢宿ガイドツアーでした。




照れ 画素数小さくしたら予定していた写真が入った♥

それから歩いた距離を知りたいという質問がありましたね。途中塚を上らなかったり、遊行寺からはバスを使ったので、6000歩ちょっとの歩数でした。距離にしたら3-4キロでしょうか?



(次回予告)

さて、後はお昼でも食べて、時間があれば藤沢宿の浮世絵でも見て帰るか〜、と思っていましたが、なかなかユニークなハプニングが藤沢で?!