ブロ友さんのくまさんが

着物で保土ケ谷宿を歩いてまわられている様子を拝読して

 

お供させてください!

 

と手を上げてから半年

 

くまさんのお供が叶いまして

 

この度「藤沢宿」を着物で歩くことができました

 

くま

くまさんがお一人で歩かれるならばずっと楽であったろうに・・・

と途中から気がつくほど

綿密に計画を立ててくださいました

 

ありがた過ぎです

 

 

今回はくまさんはじめ

三名が参加

そこに

ガイドの寺田さんがついてくださり

五名の道中となりました

 

 

くまさんからの指示書を印刷して

乗るべき電車の時間も書き込みました

サコッシュに携帯とメモを入れ

 

リュックサックには野点セット

雨に備えて草履につける雨よけカバー

晴雨兼用折りたたみ傘

 

撥水加工した着物(塩沢紬)に半幅帯で結ばない帯結び

あじさいの帯留めを通した三分紐

 

準備OK

 

前日入りした座間からの参加です

 

 

 

 

当日朝

8:30発の小田急に乗るのです

 

目が覚めると

 

あんぐり

 

え!えーーーーーー!

なぜ目覚ましがならなかったの!?

 

7:45分でした

 

とにかく落ち着いて

帯は結ばない帯結びだから間に合うはず

着付けと簡単化粧で

 

セーフ滝汗

なんとか予定の電車に乗れました

 

 

くまさんの指示書によりますと

 

藤沢本町駅前9:30集合

(目印は)

黄色のベストを着て青い帽子を被ったガイドの寺田さん

 

これだけで果たして無事に集まれるのか

みなさんのお顔を知りません

本名も知りません

どのような方なのかも

ブログを拝見する範囲でしか存じ上げない

 

なんともスリルに満ちたスタートです

(遅刻しなくてよかった、ホントウニ笑い泣き

 

 

約束の時間前ですが

駅改札をでますと

目印のガイドさん発見!

 

そばに御婦人

 

「おはようございます」

と挨拶はするものの

お名前も?

お世話になったくまさんは?

???

 

ということで

恐る恐る自己紹介し

なんとお呼びしたらよいかお尋ねしました

 

歌亜耶さん

grecoさん

くまさんくま

 

 

お世話になります

おねがい

 

 

ガイドの寺田さん

お着物の方と歩くことはめったにないらしく

「スピードが早かったらいってくださいね」

とお優しい方です

 

 

まず、駅の裏山の説明から

 

伊勢山公園

といって

あそこからお伊勢さんを拝んだのだそうです

 

 

そして出発!

商店街のような場所を歩きます

まだ開店前!

 

 

シュールな物を発見

 

狛犬が網に囚われてる!?

 

 

 

 

寺田さんによると

 

ここは「諏訪神社」

今は「諏訪町内会館」としても使われているそうです

ここは藤沢宿とは関係ない場所でした笑い泣き

https://suwacho.blogspot.com/2018/10/blog-post.html

 

 

はい、大きな通りにでて

ここが東海道だそうです

 

説明を聞きなが歩きます

 

最初の目的地は

①「白幡神社」

リック背負っているのが私です
 

源義経

を祀ってあるそう

 

源氏だから「白旗?」

とお聞きすると

そのようです

 

新緑が美しく、良い気 に満ちています

 

手水鉢で

手を清めて参拝します

 

亀が見守ってます

 

 

じゃ~~~ん

 

こちらがガイドの寺田さん

 

白幡神社へは

江戸から女性が二泊三日で

参拝ツアーで訪れた場所なのだそうです

 

伝説のヒーロー義経さまラブ

 

そして

箱根を越えることなく行ける場所ということも

女性に人気だった理由のようです

江の島・鎌倉

などへも参って

江戸へ帰ったそうです

 

 

本殿にお参りの後

こちらのご紹介がありました

 

「源義経公首塚」

写真ではわかりにくいですが

にみえる塚の意匠です

 

奥州藤原氏にかくまわれていたものの

追い詰められて命を落とした義経

その首は鎌倉に運ばれますが

頼朝は鎌倉に首であっても義経を入れたくなかった

だから

梶原景時らの首実検の後

浜にすてられたのだそうです

 

その首が境川から白幡川へと遡り

一説には亀に乗って遡ってきたとか

 

だから手水鉢に亀がいたのか?

 

頼朝は義経の祟を恐れて

白幡神社の神として

義経を祀ったのだそうです

 

神社境内には

「弁慶の力石」

がありました

 

こちらを触ると健康になり病気をしない

と言われている

とお聞きしたから

 

さあ、みんなで触ってます

そりゃー触りますよねー

 

 

この亀の甲羅のようなリック姿が笑い泣き

 

何を見た?私!

大口開けて驚いてますね笑い泣き

 

 

この後下に降りていき

 

義経藤と弁慶藤

があるのだとお聞きしました

 

しかし

 

藤棚に青葉の時期です

時期区別つきません

でも

お二人はどこまでもセットで語られますね

 

最後に

 

「はい、この鳥居

何でできていると思います?」

 

と寺田さん

 

 

見上げる私達はてなマーク

 

 

「プラスチックです」

びっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマーク

 

こんなレア情報までいただけて

ガイドさん(寺田さん)がいてくださってホントにありがたいです

 

神社を後にし大通りを歩いていくと

「伝義経首洗井戸」

の標識はっけん

 

寺田さんはそれに従って

細い道に入っていきます

 

え!

こんなとこ入っていいの?

と思ってしまうような 私道感満点です

 

住宅に囲まれるようにして

小さな公園があり

その一角に「井戸」

 

 

看板がなければわからないようなものです

 

 

白幡神社できいた話

と総合すると

川を遡ってきた義経の首を洗ったのがここ

そして

神社に祀られたということですね

 

 

そして次の目的地へ

 

③「永勝寺」

 

浄土真宗の寺だそうです

ここに来るまでの道のり

寺田さんにお聞きしました

 

「飯盛女の墓」

というのがありますが誰のことなのですか?

 

頂いたガイド地図に書かれていたのです

 

寺田さんははっきりとしお答えをされず

ここに到着しました

 

門をくぐってすぐの左手に

墓所がありました

 

そこに

④「飯盛女の墓」

 

と書かれていました

 

なんとびっくり

 

一人の女性の墓ではなく

「飯盛女」とよばれ

旅籠で接待・遊女のような仕事をされていた女性のことだったのです!

 

立派な屋根付きの

小松屋の主人のお墓のまえに小さな墓石

中には隅が欠けているものもあります

これらが飯盛女の墓でした

 

小松屋の主人は、使い捨てのように扱われた女性たちを不憫に思い

(自分の出身地からも連れてきた女性なので)

亡くなったあと手厚く葬ったそうです

 

 

次の目的地は

⑤「弁慶塚」

弁慶の首が先の義経の首とともにこの地にたどりつき

弁慶の首はここへ祀られたそうです

 

ただし、草が茂っており

階段も登ります

草履で着物

の方々が滑ったらいけないというご配慮で

ここは見るだけ

ありがたいです

 

狭い道を歩いていくと

 

⑥「済美館」

という場所で休憩タイム

 

6月に入ったとはいえ

過ごしやすい気候のこの日

でも

冷房入った場所からは

出たくなくなります滝汗

 

ここにも藤沢宿の紹介がされるコーナーがありました

 

 

 

 

⑦「関次商店・穀物蔵・肥料蔵」

さて

 

パン屋さんが入っているという

「関次商店」に来ました

 

楽しみーーー飛び出すハート

 

 

この白壁

お蔵だ!

でも

「close」

の文字に読めますが・・・

 

 

ああ、今日はお休みでした

 

と寺田さん

 

仕方ない悲しい

 

お隣は花屋さん

もと肥料蔵

 

オシャレ

 

 

この辺は古くは麦畑ばかりだったそうです

穀物商の関次商店さんの蔵

 

今は若い人がこの場所を借りて

パン屋さんを開いているそうです

 

穀物商だったからパン屋さん?

 

そうではないと思う・・・ということでした

 

このお蔵の奥が

 

 

⑧「常光寺」

 

緑に囲まれた

良い気

に満ちた場所です

 

 

江戸方見附から京方見附

この間約2キロメートルを

藤沢宿

といい

その間だけ大名行列をしたのだそうです

 

 

佐々木蔵之介さん主演の

「超高速!参勤交代」という映画がありましたが

 

 

 

あれも

宿場の間だけ大名行列を立派に見せる苦肉の策

を行っていて

そういうことだったのか!

と腑に落ちました

 

 

この「常光寺」さんは

宿場の中心地点にあり昔から大切にされてきたお寺だそうです

 

案内がありました

巨木がたくさん生えています

幹の太さは三人ぐらいで手を繋ぐくらいでしょうか?

 

立派に大きく育っていて

そのような木が残っていることに

人々の信仰心

自然に対する畏怖

を感じます

 

 

 

 

大通りを歩きます

今はなき「問耶場跡」

画像お借りしてます

 

 

 

寺田さんから

 

東海道五十三次

と言いますが

「次」ってなんでしょう?

と問われました

 

旅の途中

馬や人が疲れるため、馬や人足を交換し

次に向かう為の場所が宿場でもあり

その事務的処理をする場所が

問屋場

だそうです

 

そして次へ次へと旅が続くから

「次」

ということだったような・・・キョロキョロ

 

その時にはわかったつもりでいても

書いてみると忘れているものです

 

 

このあたりに

「豊島屋」さんというお菓子屋さんがありました

 

事前打ち合わせで

 

地元の和菓子で野点をしたい私が

こちらの「松露羊羹」を購入して使いたい!

くまさんに伝えると

切るのが大変ですからねー

別なものになった

という

いわくつきの場所です

 

「松露」というあんこ玉の和菓子がありますので

松露羊羹もそういうものかと思っていました

しかし違い

 

松露という松の根に生えるきのこを

練り込んである羊羹だったのです

 

ガイドの寺田さん

一棹購入し、皆さんに召し上がってもらいたかった

とおっしゃって下さいました

お休みではどうしようもありません

 

野点の菓子に決めなくてよかったニヤニヤ

とくまさんと顔を見合わせました

 

いつか食べてみたいてへぺろ

 

ちなみにこの「豊島屋」さんは

鎌倉の鳩サブレで有名な、あの「豊島屋」さんの

本家だそうです

(分家のほうが有名になってしまいましたチーン

 

こちら街道沿いに

かつての面影をなんとなく残したお店がいくつか

 

説明がなければ

確実に見落としています

 

寺田さんがいてくださって

ほんとうによかったです

 

でも

この建物の垂木の工夫

その名称も

繰り返してお聞きしたのですが

忘れていますゲッソリ

 

 

 

 

そうこうしていると

終点の

「遊行寺」

に到着します

 

 

長くなりましたので

 

明日につづきます