質問が来ました。

確かに前回の説明のみでは分かりにくいということも有り。



質問と言うのは

『原子に意識があるというのが正しいのなら、自然現象と言うのは意識的に起こされているものなのか』

というもの。


成程。前回だけを見ればそう取られても全くおかしくないかな。という気はする。

ただ、ちゃんと読めばそう取られることもないと思いますが……。


僕が前回言及した『原子の持つ意識』と言うのは、前回にも書いてある通り、『意識の断片』であるということなんです。

私たちの言う『意識』つまりは『自分が認識できる内面的な精神活動』における意識を、仮に100と置いた場合、原子の持つ意識は0.00001ぐらいのものです。今は適当に書いてますけど、実際はもっともっと低いと思います。


それだけ『意識が小さい』のなら、意識できていないと考えてもおかしくはないと思います。


そもそも『意識を持つところ(仮にA)』が意識を100持っていたとして、前回からの議題になっている『意識はどこから来るのか』と言うことを考えるとき、Aが原子で出来ている以上、原子が持っていると考えるのが自然ではないかと思っています。

Aができる前は0だったのに、それが出来た瞬間からいきなり100になるということはあり得ません。無から有が出来るのかどうか、と同じようなものですね。僕はそれはあり得ないと考えています。


脱線気味になりましたが、結論として『原子は意識的に自然現象を起こしているわけではない』ということができます。





久しぶりにブログを書いたと思ったら、また難しい話だよ。なんて、思ってる人もいるかもしれません。

その通りです。物好きな方は少々お付き合いください。。。




い-しき【意識】

①識知し、思考する心の働き。感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動。第六識。→識。

②今していることが自分で分かっている状態。われわれの知識・感情・意思のあらゆる働きを含み、それらの根底にあるもの。(以下略

~新村出編 広辞苑第三版 岩波書店 から引用~


上にあるのは辞書的な意味での『意識』です。

今回言及する『意識』の定義を二つの共通点である、『自分が認識できる内面的な精神活動』とします。

今回私が考えようと思っているのは、意識とはどこが或いは何が有しているものなのか。意識の出所とはどこなのか。であって、意識の意味ではありません。


さて、本題です。


人は意識を有しているか。有していますね。

では人を構成する器官は意識を有しているか。組織は?細胞は?分子は?原子は?

言っていけばきりがないです。


人が持っている意識と言うのは、『人が有しているもの』ではあるけれど、人と言うのは総じてただのタンパク質の塊であって、もっといえば色々な種類があるけれど、ひとまとめに原子の塊だともいえます。

その原子の塊が意識を持っている。

じゃあ、こう考えられるのではないでしょうか。

原子一つ一つが意識の断片を担っている。と。

もし原子の一つ一つに意識が宿っていないのなら、原子の塊に意識が宿るはずが無いのですから。


ともすれば、原子の中にある『電子』『陽子』『中性子』の中で、意識の断片を担っているのは誰なのか、という問題が浮上してきます。

とりあえず、電気に意識はないでしょうから電子は外しましょう。

問題は陽子と中性子のどちらに意識があるのか。


陽子はアップクォーク2個とダウンクォーク1個

中性子はアップクォーク1個とダウンクォーク2個で構成されているわけですから、どちらかに意識の断片があるのなら、他方にもそれがあることになります。

今までの話が正しいとすれば、どちらにも意識が宿っているということになります。


では、どちらがより意識を有しているのか。つまり、アップクォークとダウンクォークのどちらが意識を有しているのか。と言う話になるわけですが、キリが無いのでここでは書かないことにします。

考えてみたい方はぜひチャレンジしてください。


ただ、今までの話が正しいとは限らないのでご了承を。






は、多分合格しました。

点数的に。


あとは実技ですね。

手先不器用なので実技できるかどうか……。


とりあえず頑張ってみようと思います。