遅くなりました。

前回に引き続き『正義と悪』です。



さて、前回の例を改めて考えてみると、(少なくとも、前回の例に於いては)『被害者の意思』に依って加害者が裁かれることになります。

それはつまり、正義や悪は『個人の価値観念・思想形態』に於いて区分化されるものであるということです。


例における『おふざけ』は『傷害罪』になり得るけれど、『おふざけ』として見れば違法性が限りなく低いです。

やっている行為は同じだけれど、被害者の意思決定によって悪になったりならなかったりするということです。


ところでこの時、『違法性のないおふざけ』は『正義になり得る』のでしょうか。(悪の逆が正義になり得るのか)

例えば『おふざけ』によって周りの笑いを誘い、場の雰囲気が和やかになったとすれば、それは『良いこと』であると言えます。

では、『良いことは正しいことと等しく、或いは正しいことに含まれる』のでしょうか。もし含むとすれば、どのような条件下で正しいことは良いことを含み得るのでしょうか。


良い行いをする人に対して、ドラマ等ではしばしば『偽善者』というフレーズが使われます。『良いは善』である(と考えられる)ということです。

なので、『良い行いをした』というのは、換言すれば、『善い行いをした』であって、『道徳的に正しい(規範的)行いをした』と言うことになります。


さて、前回の正義についての説明を思い出してください。

人の道にかなっていて正しいこと。

とあります。これは『道徳的に正しいことは正義を含む』ということです。

上にあるように『善い行いは道徳的に正しい行い』であって、それは即ち、『正義である』と言うことを示します。


1『良い行い』は『善い行い』である。

2『善い行い』は『道徳的に正しい行い』である。

3『道徳的に正しい行い』は『正義』である。

4故に『良い行い』は『正義』である。


三段論法です。

これが成り立つとすれば、『良い行い』は『正義』になりますが、これは果てして成り立つのでしょうか。


そもそも、何度も問題にしているように、これに排中律が有るのでしょうか。

簡単にいえば、上の


4『良い行い』は『正義』である


は、


良い行いは正義であるか、或いはそうでないかのどちらかである


だと言えるのか、と言うこと。

これに於いての中間はないのかな。


ありますね。

つまり、排中律がないということです。

エネルギー保存の法則がない、みたいなものですね。


エネルギー保存の法則は、中学校で習ったように、エネルギーは運動(反応)の前後で一定であるということですが、これが(孤立系で)成り立たないことはないです。

それと同じで、論理的に排中律が成り立たないことはないので、上の三段論法は誤りであるということです。


なら何故書いたのか。書きながら考えてるからですwww。


『正義と悪』という二元論的な考えでは証明できないのでしょうか。。。













前回→『事実と真実』


今回→『正義と悪』



せい‐ぎ【正義】

  人の道にかなっていて正しいこと。

  正しい意義。また、正しい解釈。

  人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。


あく【悪】

  わるいこと。人道・法律などに反すること。不道徳・反道徳的なこと。

  芝居などで、敵役。


~コトバンク より引用~



さて、『正義』って、『悪』って、何だろう。

上に書いてあるように、正義とは正しいこと、行うべきことであって、悪とは悪いこと、行うべきでないこと。です。


じゃあ、その『正義』と『悪』って実際何?という疑問が湧いてきませんか。

何が正しくて何が正しくないのか。また、正しいものはすべて『正義』で、正しくないものはすべて『悪』なのか。



まず、『正義』と『悪』は、どのような関係にあるのか。


対義語として言えば、

『正義』⇔『不義』

『悪』⇔『善』

です。

意味的に見ても、正義の反対がいつも必ず悪であるわけではないし、その逆もまた、いつもそうであるとは言えません。

つまり、

『正義』⇔『悪』は成り立たないということです。


しかし、全く別物であるとも言えない気がします。


例えば、正義の説明(3番)には

人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。

とあります。


それに対し、悪の説明(1番)には

わるいこと。人道・法律などに反すること。不道徳・反道徳的なこと。

とあります。


正義の説明における『人間の社会行動の評価基準』や『規範』が、

悪の説明における『人道・法律』・『不道徳・反道徳的なこと』を含む(不道徳・反道徳的なこと に於いてはその逆)のなら、少なからず関係の有る言葉同士だと言えます。

どの程度の関係性があるのか。それは後々分かってくるのではないでしょうか。



次にメインである、『何が正義』で『何が悪』なのか。

『社会行動の評価基準・規範・人道・法律・道徳的とは実際何なのか』と換言しても良いです。


一番簡単そうに見えるのは法律だけれども、これがとても難しい。

『法律に違反した行動(違法)』は悪。それは当たり前。


なのかな?


それは少し強引すぎやしないだろうか。


例えば、『下手なボケをかましたA君の頭を、B君がツッコミと称して叩いた』とします。

これが「ネタ打ち合わせ」等の合意の上で行われた行為であるならば、違法性があるとは言い難いです。が、もし同意が無く、A君の意思に反するツッコミであったなら、これは違法行為(犯罪)に成る可能性があります。


これをA君が笑って受け流したとしましょう。するとこれは(とりわけ、学生生活の中で)良くあるような『おふざけ』として処理されるでしょう。

しかし、もしA君が訴えていたら『違法行為(犯罪)となった可能性』があるのは事実です。

『法律に違反した行動(違法)』だけれど、これは『悪』だと言えるだろうか。


ちょっと疲れたので続きはまた次回。











前回→『死とは何か』


今回は『真実と事実』 です。



じ‐じつ【事実】

  実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。

  哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。


しん‐じつ【真実】

  うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。

  仏語。絶対の真理。真如。


~コトバンク より引用~



これらの説明から何が分かるのか。

『事実』というのは、つまり、『主観的・流動的なもの』であり、

『真実』は『この世の中で唯一絶対のもの』であるということです。


事実と言うのは言い換えれば『錯覚』だとも言えます。


例えば、Aさんが帰宅した時、何者かが家族を刺していたとすると、『家族は被害者』『何者かは加害者』と言う構図が成り立ちます。これはAさんにとってみれば『事実』であって、これ以外の答えは現在有りません。

ですが、実は、家族が「何者か」を刺そうとして、その「何者か」が正当防衛権を行使し、結果的に殺害してしまった(正当防衛殺人)としたら、どうでしょうか。



このことを知っている「何者か」にとってみれば、『自分は加害者でもあり被害者』でもありますが『相手も加害者であり被害者』で有ることになります。

だけれども、何者かが反撃にでたところしか見ていない「Aさん」にとってみれば、やはり、「家族は被害者」で「何者かは加害者」なのです。


Aさんを責めることはできません。なぜなら、人と言うのは『事実しか認識できない』からです。

見たことを『事実として認識』して、それをいつの間にか『真実に昇華している』のです。


貴方の見たことは果たして真実なのでしょうか。

『「これしかあり得ない」は「あり得ない」』です。(と、断言すると、それもあり得ないのじゃないかと言われそうですが)