★慰安婦問題を作り出した人たち | きゅうじのブログ アメブロ版

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日本にとって、共通の価値観を共有ができない国々の事を、初心者でもわかるように伝えるのが目標です。上級者には物足りないと思いますが、よろしくお付き合いください。<m(__)m>
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慰安婦記事訴訟

元朝日記者の請求棄却 札幌地裁

元朝日新聞記者の植村隆氏が、慰安婦記事を「ねつ造」と報じられ名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏(60)が、ジャーナリストの櫻井よしこ(73)や櫻井氏の記事を掲載した「週刊新潮」の発行元・新潮社など出版3社に損害賠償などを求めた訴訟の判決で、札幌地裁(岡山忠広裁判長)は9日、請求を棄却した。

https://mainichi.jp/ch180702046i/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E8%A8%98%E4%BA%8B%E8%A8%B4%E8%A8%9F

CatNA‏ @CatNewsAgency 

植村隆記者会見@外国特派員協会 『裁判は不当。控訴して逆転させる』『桜井よし子のせいで大学教授への道を絶たれた』『人身売買で慰安婦にされたとしても、戦時における性暴力の被害者。日本の責任だ』 小野寺弁護士『植村裁判に114名の弁護士がボランティアで参加』→それでも負けたのか。(笑)

Nakam‏ @Nakam72254165 

言論戦で勝っている!・・・ 何を寝惚けた事を(笑) 正面切っての言論戦から逃げ回り、支援者の力を借りての訴訟という手段でしか向かい合う事をしなかった卑怯者が これ程の厚顔無恥さこそが、元朝日の記者の真骨頂かもしれない

もっさん‏ @L4sz58NC6VGyb5c 

新聞が後からどう書こうが裁判に負けたことが事実であり全てです。

5代目釣りバカ男‏ @86UbDaOSJ08FrIc 

朝鮮半島の考え方に近いですね。

自分が負けを認めなければ負けではない。フルボッコにされようが裁判でボロ負けしようがサッカーで5対0で負けようが自分が認めなきゃ負けではなく、相手にされなきゃ逃げたと騒ぎ立てる。相手にするべきではないですね。

慰安婦問題を作り出した人たち

朝鮮慰安婦問題は、植村氏だけがねつ造したわけではないと思います。20万人ともいわれる朝鮮慰安婦問題は、朝鮮人が作り出した幻想であるという事実を知らない方はまだまだ多いと思います。慰安婦がいなかったと言っているわけではありません。、

韓国と日本の間で常に問題になっているのは日本政府による関与があったか否かなのです。

もともと従軍慰安婦なる言葉自体も存在していません。後から作られた言葉なのです

◆吉田清治(よしだせいじ)

本名=吉田雄兎が1980年代に、大東亜戦争(太平洋戦争)の最中、軍令で朝鮮人女性を強制連行(「慰安婦狩り」)し日本軍の慰安婦にした「私の戦争犯罪」という告白本を出版したところからはじまりました。

ですが、1995年に虚偽による創作による小説だと本人が認めているのです。 

実はこの人物はかなり怪しい経歴の持ち主なのです。吉田雄兎が23歳の時に4歳下の朝鮮籍 李貞郁(キム・ヨンダル)なる人物を養子に迎い入れているのです。 実は戦前に吉田雄兎なる人物は既に死亡しているとの記録もあるといわれております。朝鮮人特有のなりすましだったのではないでしょうか。そして養子にした朝鮮人は実弟ではないでしょうか。

必然的に在日朝鮮人ではないかとの疑いが湧いてきます。

◆朝日新聞

朝日新聞(大阪本社版)に、「日中戦争、第2次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』 のうち、1人がソウル市内に生存していたことがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた」との記事を執筆したのが今回の裁判の主役であった 植村隆記者でなのです。

23年前の1991年の出来事なのです。

後にこれらの記事は誤報であったと朝日新聞は謝罪していますが、英語版の記事は読めないように小細工したり、世間一般では真の謝罪とは受け止められてはいません。

この記事により、「挺身隊」と「慰安婦」が混同したのです。

その後の紙面では一面で「日本軍が慰安所の設置および従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」ことを示す資料が見つかった。

挺身隊の名で従軍慰安婦とし強制連行したのは8万から20万人いた」。と報じたのです。

その後、事実関係があいまいなまま 訪韓した当時の宮沢首相は韓国に対し、謝罪と反省を述べることとなったのです。

 ソウル市内で生存していた「元慰安婦」の彼女は「金学順」という実名で記者会見を行っています。

「私は40円で親から売られた」「3年後の17歳の時に義父から売られた」と話しているのです。

彼女は日本政府を相手に訴訟を起こすのですが

訴状内容にも「貧しさゆえにキーセンに売られた」と明確に書いているのです。

植村隆記者は何故その部分を報道しなかったのでしょうか。

実は日本政府への訴訟での金学順の担当弁護士の一人が福島瑞穂なのです。

2014年(平成26年)8月5日になって漸く朝日新聞は植村記者が資料を誤用し、間違った内容を記載したと訂正記事を掲載しました。

2014年8月の検証記事中において、

 (1)元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった

 (2)元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いた 

という二点の批判に対し、

(1)については、「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と植村が否定したことを根拠に便宜供与はなかったとし、

(2)についても「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」という植村本人の説明を元に

「事実のねじ曲げは意図的に行われていなかった」「義母との縁戚関係を利用して得た情報には特別な情報はなかった」。と結論付けています。

◆韓国挺身隊問題対策協議会

韓国挺身隊問題対策協議会(かんこくていしんたいもんだいたいさくきょうぎかい)とは、日本軍の慰安婦問題を解決するために1990年に結成された韓国の市民団体です。

ソウル特別市の在大韓民国日本国大使館前で、毎週水曜日に慰安婦への日本国政府の謝罪と誠意ある対応を求めて、デモ活動(水曜デモ)などを行っています。

デモが1000回を超えたことの記念に「慰安婦像」を大使館の目の前に設置したのです。

この団体は反日団体であり親北朝鮮団体でもあります。

 2012年に日本国政府が韓国政府に提示した解決策に対して、受け入れ拒否を強く主張していました。元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さん(86) は、最近発行された週刊誌「未来韓国」の中で 「日本が話し合おうといっているのに。会わずに問題が解決できようか」と挺対協のかたくなな姿勢を問題視していました。

また、挺対協が在韓日本大使館前での毎週行っている抗議集会について「何のためにしているのか分からない。ただ、『謝罪しろ』『賠償しろ』と叫んで集会の回数をこなせばいいというものではない」と疑問を呈しています。李さんはさらに「なぜ自分たちの思うままにやるのか分からない」と挺対協の独善的な姿勢を問題視し、 「抗議を毎週やれば性格も態度も悪くなり、健康にもよくない。挺対協の人たちは闘争家の側にいるようだ」とも批判しています。

元慰安婦の女性が「証言は私の命同然なのに、挺対協は本人に確認もせず、事実とは異なる証言集を出した」と挺対協の情報収集のずさんさも指摘。 「静かな場所で証言を聞かねばならないのに、食事をしながら問答したのが大部分。そのために、(自分の)証言にはめちゃくちゃになったものが多い」とも語っています。

1965年の日韓請求権協定に触れ「日本から援助を受け浦項製鉄を作り、京釜高速道路を建設したのはいいことだ。あの時の金で(韓国が)経済発展をしたのなら、今度は韓国政府が慰安婦問題の解決に積極的になり、日本に先立ち私たちに賠償してほしい」とも述べています。

この団体こそが慰安婦像を設置している団体なの

ですが、本当に慰安婦のことを考えてる女性団体なのだろうか。    

◆福島瑞穂=趙春花

※対談番組で櫻井よしこ氏に慰安婦問題で完全論破される

石原慎太郎は都知事時代に定例記者会見で、「与党党首には親などが帰化した人が多い」

との発言に対し、当時社民党の福島瑞穂党首が不快感を表明、発言の撤回を求めましたが

「差別意識は全くない。彼女を特定したわけじゃない」「帰化した人ではないと言うなら自分で戸籍を明かしたらいい」と述べています。

福島氏は、最初に日本軍の慰安婦だったと名乗った金学順さんの担当弁護士の一人で「慰安婦問題の仕掛け人」でもあるのです。

 実は金さんが問題にしていたのは「強制連行」ではありません。

慰安所では支払いが「軍票」で行われていました。敗戦によって無効になった「軍票」分を支払ってくれ、という話だったのです。

とするならば、福島氏は初めから金さんが強制連行されていなかったことを知っていたのではと疑いたくなりますよね。

福島瑞穂がNHK出演の元慰安婦へ仕込む、目撃証言、元NHK池田信夫

吉田「従軍慰安婦」 済州島現地取材

福島瑞穂の嘘「チェジュ島で慰安婦問題の調査に行ってません!」→行った証拠がありましたwww

朝日新聞と共に慰安婦の嘘をつかれた方々

~現役国会議員含む

◆村山談話 

戦後50年の節目に当時の総理大臣村山富市氏が、「日本の過去の戦争・植民地支配などの歴史認識問題」に関し、公式的立場で 発表した談話で

す。 「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました」、「痛切な反省の意」「心からのお詫びの気持ち」と発表したのです。

この最大の失策は 「植民地支配」と「侵略」というふたつの過誤を公式に認めたことなのです。

大東亜戦争は植民地支配と侵略ではありません。

村山談話は日本が出すべきものではなく 

東南アジアを侵略し植民地政策で掠奪と残虐行為の限りを尽くした 欧米列強であり、終戦から70年以上たった現代においても、隣国を侵略し続け、虐殺行為を行っている中国、そして過去、ベトナム戦争において残虐行為を行なった韓国にこそ発表させるべき談話なのです。

戦争を回避するための外交努力を無視され続けられ、アメリカから突き付けられた「ハル・ノート」により日本は欧米列強から植民地支配されるか、戦って国体護持するかの選択しかなかったのです。

この談話によって韓国の日本による植民地支配、侵略が定義化され、のちの従軍慰安婦問題にまで飛び火し、韓国と日本との併合も植民地と言われ続けられることになったのだ。  

◆河野談話

「河野談話」とは、1993年8月4日に当時の河野洋平官房長官が発表した「慰安婦関係調査結果に関する河野内閣官房長官談話」のことです。

これまで、歴代内閣が継承してきた日本軍「慰安婦」問題についての日本政府の公式見解です。

 「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」 と従軍慰安婦について旧日本政府の関与があった公式に認めたのです。 「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」 と元慰安婦に謝罪までしたのだ。 「本人たちの意思に反して行われた」 「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」と、慰安所での強制までもを認めたのです。

※歴史の文献では必ず右側の女性は削られます

笑顔ですからね。

慰安所の設置・管理・移送のことまで、 「直接あるいは間接に」旧日本政府が関与したことを認めたのです。さらに慰安婦の募集についても軍の要請を受けた業者が主としてこれに当り、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」が数多くある。 「官憲等がこれに加担したこともあったことが明らかになった」と、業者による誘拐・略取などが数多くあり、軍・官憲の加担もあったと認めたのです。

日本政府が公表した河野談話の作成過程の検証報告書の作成について

①関係省庁や米国立公文書館の文書調査

②旧軍関係者や元慰安所経営者からの聞き取り調査

③韓国の元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」の慰安婦証言集の分析調査 

などを通じて 「一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというものであった」「『強制性』に関し、これまでの国内における調査結果もあり、歴史的事実を曲げた結論を出すことはできない」と応答したと韓国側に伝えているのです。

それがなぜか、河野談話発表時に旧日本政府が慰安婦を強制連行して性奴隷にしたという嘘に、「政府公認」というお墨付きを与えたのです。

日本政府が長きにわたり、韓国側の主張する強制連行はないとの主張をひっくり返したのです。

河野談話の主な根拠は韓国で実施された元慰安婦十六人への聞き取り調査です。 

聞き取り調査の中身が、元慰安婦の氏名もまともに記されておらず、慰安所がなかった場所で働いていたとの証言が複数あるなど極めてずさんなものでした。 談話の作成については韓国側との事前すりあわせがあったとされています。

この談話で今後、韓国は慰安婦問題を終結させるとの裏取引があったとされていますが、真実ならばまたしても騙されたと言わざる得ません。

 

(参考・引用)

秦郁彦氏の学術書『慰安婦と戦場の性』(初版H11年)  東京基督教大学教授 西岡力『正論』『文藝春秋』 産経新聞 wikipedia植村隆 韓国挺身隊問題対策協議会 吉田清治 参照