★伊達政宗の忍者「黒脛巾組」の神社を更地にした仙台市 | きゅうじのブログ アメブロ版

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韓国の慰安婦デモに参加していた郡和子仙台市長になった時に伊達政宗が泣くと言っていたのだが現実のものとなった。

伊達政宗の忍者「黒脛巾組」の神社を更地にした仙台市~豊受真報より~

仙台藩祖伊達政宗公生誕450年で浮かれる仙台市の歴史的な大失態が発覚した。
仙台藩祖伊達政宗公、二代目当主忠宗公に仕えた忍者「黒脛巾組」(くろはばきぐみ)鹿又戸兵衛(鹿股戸兵衛/)をまつる東原神社(ひがしはらじんじゃ。太白区西多賀)を、

地元住民に一切告知なく更地にしてしまったのである。



撤去前の東原神社。写真からも、地元住民によって丁寧に掃き清められている姿が確認できる。


現在の神社跡地。社殿、碑、鎮守の林まで跡形もなく更地になっている。仙台市議会議員撮影。

この件については現在、仙台市議会議員が視察しているが、議員のSNSによれば東原神社が更地になっていることは、「区役所も把握していない」。都市計画上の宅地造成などやむにやまれぬ事情での遷宮の場合、地元住民への事前告知が行われるのが慣例だが、それすらもない突然の撤去であった。

東原神社は地元住民にとっても特別な史跡であり、

『西多賀今昔かるた』の1枚にも収録されている。

鹿又戸兵衛は伊達政宗の歴史の中でも特に有名な、大阪夏の陣・冬の陣で活躍した。後の子孫で仙台市長にも就任した鹿又武三郎により、昭和37年に東原神社が建立されている。


黒脛巾組は歴史文献にとどまらず、現在、仙台・宮城の観光キャラクターや芸能ユニットといった形でも活躍している。
伊達政宗と黒脛巾組を観光に利用するだけ利用しながら、黒脛巾組の鹿又戸兵衛をまつる神社が突如更地になっても「区役所も把握していない」。これが、仙台市の生々しい現実である。

仙台市民が今年七月に仙台市長に選出したのは

郡和子であり、郡市長は自身の政策・ビジョンで、「『杜の都』の魅力向上と『伊達文化』の再興。杜の都仙台のきれいな空気と水と緑を守り、大手門復元や貞山堀・四ツ谷用水・若林城跡など伊達文化を最大限活用します。」と公約しているが、現在、仙台は地元住民も区役所も市議も混乱の事態となっている。

http://www.media-japan.info/?p=5685

申し訳ないが、仙台市民の自業自得としかいいようがない。市長という立場であれば責任をとるべきではないか。

跡地に慰安婦像が建っても、もはや驚かない。

仙台市民が選んだのだから・・・

歴史と文化を守りたいのならどうすべきか考えるべきだろう。

 

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