前半からの続き


膳所城北総門跡。ここまでが城下だったとのことだ。

 

義仲寺。境内を見て行こうかと思ったが、ウナギの誘惑に負けた。さっさと行こう。

またしても京阪電鉄を渡る。

建て込んだ民家の間に平野神社の参道が続く。

ご当地マンホール。「違う柄があるよ。」「えー、みんな一緒だろ。」

「ほんとだ、あった。」「信用してない?」「このキャラ何?」

滋賀県庁の横を通過。

旧街道には、趣のある和菓子屋、酒屋などが軒を連ねる。「いちご桜」がおいしそう。

札の辻に出ると、なんと普通の長い列車が路面を走っている。スゲー。

路面区間は短く、右手の民家の間に列車は消えていった。そして本陣跡。

JRを真下に見て、ガードを渡る。JRはそのままトンネルで山の中に消えていく。

逢坂の関といえば、蝉丸。蝉丸神社。

飛び出し とび太くんも、琵琶をもった蝉丸バージョン。

JRはトンネルだが、京阪の電車はかなりの急勾配を上って、峠を越えて行きます。

旧トンネルの遺構。土木工学の遺産だとか。

横は京阪の線路。国道1号線の間を歩くと、目の前に名神高速の高架。それにしてもこの日本橋からのキロポストよ。スタート地点の自宅辺りは180キロくらい。

蝉丸神社の上社は道向こうだから寄らず。ウナギ、ウナギ・・・

逢坂の関跡まで上ってきました。

逢坂山かねよ に到着。

 


きんし丼とまむし
名物のきんし丼をいただきます。

 

大谷駅横で線路と国1を渡る。


大日如来堂でおばあちゃんにもらったお守り。あわじ玉というやつかな。

伏見追分 大名行列はここから洛中を回避したという。

不思議な門の閑栖寺 門前にはかつて敷かれていた車石。

再び国道を渡る歩道橋から見えた、県境標。ついに来ました。

寸断された旧道は正面に続いています。

逢坂の関を大関、裏道を小関と呼んだそうで、三井寺観音道小関越 の標石。

県境が入り組んでいる所。やっと、京都府京都市入り。

六角堂の横には「伏見六ぢざう南無地蔵尊」の石標

山科駅に通じる道とのクロス。本日ここまで。

手前は京阪電鉄の山科駅。奥にJRの駅。

なんだか急に都会的になってきた。せまいけど。

陽が落ちかけるころ、守山駅に戻ってきた。すっかり気温は下がって寒い。

 

 膳所城址をひとまわりし、小休止を終え、東海道に戻る。膳所神社に立ち寄り参詣。門前には川魚の佃煮屋があり、「酒に合いそう」と「ツレテケ」が吸い寄せられる。買って帰ろう、というけれどまだ半日背負って持ち歩かなければならないからなあ、ウナギめざしてがんばろう、と引き離す。
 旧東海道に戻り進むと、街道沿いの民家の向こう側には超高層マンションがにょきにょきと建っている。響忍寺というお寺をぐるっと迂回するように回る道を進むと路傍に石の標柱。膳所城北惣門跡、とな。なかなか広い城下だったようだ。やがて、案内板が目立つ義仲寺。義仲と言えば、木曽義仲?やはり、木曽義仲の愛妾、巴御前が尼僧となり義仲の菩提寺を建てたという。なんと、松尾芭蕉の墓がある?ここは寄らなくては・・・と思いつつ、夢はウナギを駆け巡る・・・先を急ごう(笑)石場の駅横でまたまた京阪電鉄の踏切。大津の市街地に入ってきた。ご当地マンホールがところどころにあるのだが、なんとも賑やかな大津の名所、名物をてんこ盛りにしたデザイン。だが、「ちょっと違うのあるよ。」と「ツレテケ」そんなことないだろ。みんな一緒だよ。と思っていたら、「ほら」と観覧車のないバージョンがあった。うりざね顔のキャラクターと、みかんみたいなキャラクターもいたりいなかったり。へえ、いろいろあるのね。やがて立派な建物が見えてきた。滋賀県庁だ。古い通り沿いには伝統のありそうな商店も立ち並ぶ。そのうちの一軒に人が出入り。イベントでご当地ワインの試飲などをやっているらしい。古い街並みによくある、趣ある和菓子屋さんも。左手の高台に大津駅を見上げながら進むと札ノ辻。目の前の広い通りの真ん中を路面電車とは言えない長い編成の列車が走っていく。びっくり。京阪電鉄京津線が、ここだけ路面を走っているのだ。数百メートル先でまた左手の民家の間に消えていった。ここで小関越えと別れる。逢坂の関を大関、裏道を小関と呼んで、関を抜ける旅人が暗い山道を通ったらしい。大坂屋本陣跡を過ぎるとJRのガード。ガードの真下でJRの線路はトンネルに消えていく。しかし京阪の電車は逢坂の関を越えるように山道に沿って走っている。逢坂の関といえば、百人一首の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」作者は蝉丸。ゆかりの地に蝉丸神社が建っている。鳥居のすぐ前は国道。その横には京阪の電車が通り、すぐ先には名神の巨大な橋脚。なんとも、新旧の旅が入り乱れた場所だ。それにしても京阪の電車、結構な急勾配とRのきついカーブ。JRがトンネルで抜けていくところをがんばって走っている。そのすぐ先には旧トンネルの遺構。名神高速を見上げながら下をくぐりぬけ、国道沿いを峠に向かって上っていくと、やっと逢坂の関跡。着いたー。幟旗に吸い寄せられて、逢坂山かねよ。かつては峠の茶店だったのだろうが、明治5年に鰻料理店として創業。名物は、ここが発祥という「きんし丼」駐車場には警備員が立ち、入れるかなーと心配したが、意外に空いていて、駐車場も空きがある。本店の方に行ったら、警備員が「こちらは、全席個室で、サービス料をいただきます。お食事だけでしたら、レストランもありますよ。」と案内してくれた。仲居さんも出てきて、「お庭をご覧になりますか。」というが、とりあえず食事だけで、というと「それなら、レストランの方へどうぞ、後でお庭だけでもご覧いただけますよ。」とのこと。それでは、と向かいのレストランへ。ちょうど空席があり、すぐに座れた。定食や、御膳もあるが、高い料理は「鯉」押し。今日は鰻でしょう。というわけで、「きんし丼」と「まむし」を注文。「まむし」はうな重だが、間にもウナギが入っているやつだ。さらに、熱燗(笑)「ここは、呑むでしょ。」はいはい。おいしくいただきました・・・というところだが、確かにおいしいんだけれど、昨年食べた、静岡の三島大社の門前の有名な鰻屋の味に比べると・・・。静岡県はウナギの名産地。浜松や、三島などウナギが名物のところが多くレベルが違う。静岡県民の舌が肥えすぎということか。関西風の焼きの違いもあったかもしれないが。
 それでも、念願かなって満足し、お庭も見せていただいた。池には鯉がたくさん。というよりびっしり。錦鯉ではなく黒い鯉、ということは・・・「これ、食用?つまり池でなく、いけす?」お前らみんな鯉こくになるんだな(笑)
 走井餅屋跡で線路と道路を渡り、しばらく国道端を歩く。その奥には名神高速道路。防音壁の上におなじみの緑の看板。「京都東1.5㎞」おお、もうそんなところか。高架をくぐって、旧道に入ると大日如来と書かれた小堂。千羽鶴なども飾られ大切に祀られているようだ。眺めていると通りかかった年配の女性が、ちょっとちょっと、と声をかけてきた、「どこから、いらっしゃった?」と聞かれるので、今日は草津から、静岡から17日目、などなど話をすると、たいそう感心して、じゃあお守りに、ときれいな糸を編み込んだ玉を荷物に着けてくれた。「毎日、5個くらい作ってね、ここを散歩するんだけど、出会った人にこれをあげるのよ。」とにこやかに。もう少し散歩するという女性に激励され、丁重に礼をのべて別れる。「こういうのを『一期一会』っていうんだねえ。」と「ツレテケ」やがて伏見道の追分。公家や皇族の町だった京都には武士である大名は入ることを嫌って、ここから伏見道に入り洛中を回避したという。不思議な形状の門の閑栖寺の前を通ると、やがて国道一号線。歩道橋から見える標識には、「京都府 京都市」の文字。しかし旧道は県境ぎりぎりを進み、まだ大津市。旧道に入るとすぐに小関道西追分「三井寺観音道」の大きな石柱が建つ。そして、ついに・・・「京都市」山科の繁華街に入り、広い通りに出ると山科駅前。16時過ぎ。今日はここまで。三条大橋まではあと5㎞ほどだ。次回、琵琶湖疎水インクライン沿いの桜を愛でながら歩ける・・・はず。
 京阪の線路を越えるとJRの山科駅。16時30分ゴール。JRで守山に戻る。陽が沈むと途端にまた寒くなった。駅のコーヒーショップによって、ひと休みしてから車に戻る。

 近江大橋近くの巨大なイオンモールに出かけて買い物、その隣に併設の温泉「草津湯本 水春」へ。昨年の春、京都の花見の後にも立ち寄ったが、相変わらず若者でごった返していた。湯船に入るところがないほど。夜食少々を買って、道の駅 竜王かがみの里へ。ここも昨年と同じルート。夜半から雨。見事に中日だけ、晴れを当てた。

 今日の記録 草津駅~瀬田の唐橋~大津宿~逢坂の関~山科駅 23.8㎞ 行動時間は8時間26分
 17日間の累積 335.7㎞
 七里の渡し区間の陸路を含めると 376.8㎞ えらい距離になったもんだ。