ジブリ『風立ちぬ』感想 | 雑記帳

雑記帳

こちらは「くじういんぐ」(http://kuji-wing.com)の雑記帳です。

 遅まきながら、ブルーレイで鑑賞しました。

 感想を一言でいうなら「クソアニメ」といったところでしょうか。
 同じジブリ作品の『紅の豚』と実写映画の『永遠の0』とアニメ版の『クラナドアフター』を足して10で割って灯油ぶっかけて火をつけた残りカスの灰のような映画でした。
 つか宮崎駿はもうダメっすね、引退して正解でしょう。あれ? 引退撤回したんでしたっけ? まぁどうでもいい。こんな映画作ってしまうようではもう終わりだ。
 というかねぇ、もうちょっとこう、どうにかできなかったんかこの映画。
 設計者という観点からの特攻(もしくは戦争)批判、は先に発刊された小説・永遠の0の二番煎じだからプライドが許さなかったのでしょう。よっぽど口惜しかったのか、あの醜い場外乱闘はそのあたりに理由がありそうですが。
 じゃあだったら開き直って紅の豚みたいなエンターテイメント作品に徹するとか、やりようはあったと思うのですよ。爽快でカタルシスに満ちた飛行機の描写ができる人なんですから。でも零戦のカッコいい空戦とかイデオロギー的な意味で絶対に描きたくなかったんでしょうね。自縄自縛というか自業自得というか……
 恋愛・悲哀物としてはまぁお話にならないレベルなのでどうしようもない。クラナドアフターと比べることすらおこがましい。つか不治の病の(元)美少女から一途に慕われ支えられる、とか近年のブヒアニメすら比較にならないほどキモイ。童貞男の妄想かと。
 極めつけはあのラスト。
 敗戦の悲惨さも、特攻の無慈悲さも、すべてをたった数秒の暗喩的なカットだけで切り捨てて、挙句の果てに奥さんの「生きて……」に対して「はい」だか「わかった」だか「ありがとう」だか意味の解らん返しで終わりとかナメてんのか。
 戦争の歴史を知っているだとか、零戦の戦闘遍歴を知識として備えているか、だとかそういう問題じゃない。あれは単に描写不足なのであって視聴者の切捨てであって投げっぱなしジャーマン。決して「人を選ぶ作品」なんて高尚なもんじゃない。クソすぎる。


 いやまぁボロクソに言っておいて何ですが、つまらなくはなかったです。
 鑑賞中にまったくダレませんでしたし、クオリティは非常に高いと思います。
 だけど、面白くはなかった。というか宮崎駿のなんというか主張というか拘りみたいなものが、非常に悪い形で透けて見えて気持ちが悪かった。

 事前事後に色々言われていた庵野氏の声については、あまり気になりませんでした。
 堀越二郎というキャラクターには合っていたんじゃないでしょうか。
 いやむしろ合い過ぎていたというか、相乗効果でとんでもないことになっていました。悪い意味で。このあたりは後述。

 主人公であり、零式艦上戦闘機や烈風の生みの親である堀越二郎のキャラクター造詣がもう本当に気持ちが悪かった。
 ネットで見た感想に「魔女の宅急便のトンボがそのまま大きくなったような人」、みたいな物がありましたが、冗談jじゃない、まったくもって同意できない。トンボはあんな大人には絶対にならないと思う。
 生粋の技術者、であるとか、無味無害な聖人君子、であるとか、そういう問題じゃない。あれはまるで昆虫のように感情が無いだけ――というのはいささか言い過ぎとしても、良く言って人格障害でしょあれ、また庵野氏の棒読みが良きにつけ悪きにつけキャラクターにぴったりなもんだから、更にヤバイ感じに仕上がってます。あれ堀越二郎じゃなく堀越ゴローとかじゃねーの?
 コローは恵まれた上流階級に生まれ、何の挫折も経験せず超エリートコースに進み、学生時代に助けた美人に無条件に慕われ、その美人が結核で死に掛けているのにまったく省みることなく仕事に没頭する。場面場面で感情を露にするような描写もあるんですが、何というかロボットが人間のフリをしているようなあざとさが鼻につきました。
 特に七試艦戦が失敗した後、設定としては失意を癒すべく軽井沢に長期休暇、みたいな感じなんですが、これっぽっちもそんな様子は無い。落ち込むとかそんな描写は微塵も無かった。
 ラスト付近で子供の頃からの夢の結晶である九試単戦(零戦のプロトタイプ)を完成させ、そのテスト飛行で大成功を収める場面でもなんかまったく表情が無い。
 感情移入できない、とかそういう問題じゃないです。せめて「人間」を描写してください、昆虫じゃなくて。

 あと笑ったのが「飛行機のエンジン音等を人の声で表す」みたいな演出。
 空母(3本煙突を見るに恐らく鳳翔)から国産戦闘機が発艦する場面の「ぶるん! ぶるるん!」であるとか、七試艦戦のエンジン始動時の「どるん、どるん、どるん、どるん!」だとか、危うく話がどっか飛んでしまうくらい腹抱えて笑いました。擬音表現とかじゃなく本当に「どるん!どるん!」と言ってますからね。演出家、あたまおかしいんじゃないでしょうか。
 ただし序盤の関東大震災の描写はとても秀逸でした、あそこも人の声を使ってたんですが、すごく不気味で不安になるような良演出だったと思います。というか完全にエヴァでしたが。


 この映画、封切り後に韓国とかでは戦争賛美だなんだとえらくエキサイトしてましたが、まったくそんなことは無かったですね。かといって、永遠の0のように戦争や特攻というものを批判的に描いているわけでもない。
 正直言って、そんなレベルまで達していないんです。
 またしても堀越ゴローの批判となってしまいますが、彼の悪い意味での無邪気さみたいな物が物語のテーマを非常に、すさまじく、とんでもなく薄っぺらい物にしてしまっています。
 戦争というものに対し二律背反に苦悩しながら一介の技術者として描いているのか、というとそれも違う。作中で「俺たちは武器商人じゃない、ただ良い飛行機を作りたいだけだ!」という、本作のテーマとも言える台詞があるんですが、これ言ったのは同期の本庄で、ゴローは「ああ」とすげー興味なさげに同意しただけです。
 海軍恒例のムチャ要求についても苦悩したり憤慨したり微塵もせず、ただ聞き流すだけ。ゴローにとっては自分の気持ちのいい仕事さえできれば他のことはどうでもいいんでしょう。
 物語の最後の最後、夢の中の会話で「最後は悲惨でしたが」であるとか「全員帰って来ませんでした」みたいな台詞を聞いて、わたしはこのアニメをクソだと思うことに決めました。
 あれだけ他人事のように言い放たれると、お前が開発した飛行機で、お前の夢の結晶の飛行機で、搭乗員たちは特攻で死んでるんだぞと、筋違いを承知で言いたくもなる。
 翻ると、作中の堀越二郎の唖然とするような無責任さは、監督である宮崎駿の思想に他ならないんでしょう。
 例の永遠の0ディスりだとか、ブサヨ発言だとかで、わたしはてっきり宮崎駿って左翼思想なんだと思っていたんですが、この映画を見るとどうやら違うみたいですね。
 平和主義だとか、反戦だとか、反体制だとか、そういうものは表面を取り繕う装飾なのであって、根っこの部分ではどうでもいいんでしょう。
 反戦思想に基づいて意地でも爽快な零戦の空戦シーンは描かない、でも3本煙突の鳳翔や、屈曲煙突の長門がワンカットで出てくる、みたいな子供みたいなミリヲタを抑えきれない矛盾――を単に演じたかっただけなんじゃないかな。
 自分泥酔です。気持ちが悪い。本当に心から、気持ちが悪い。
 「クリエイターは作品で語れ」が久慈の身上なんですが、ここまで気持ちの悪いものを語られてしまうと信念が揺らいでしまいそうです。