【原神】知恵の国「スメール」のモデルは?【シュメールではなく…】 | 久印のゲーム雑考

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現在はHoYoVerseの『原神』を中心に扱っています。

オープンワールドRPG『原神』で4番目に実装された国は、「知恵」を理念とする草神の国スメールでした。

『原神』の世界には7種類の元素があるものの、それまで草元素はプレイアブルキャラクターの元素としては実装されておらず、はじめて草元素が使えるようになった、という点でも大きな変化のあった国でした。

 

今回の話は、このスメールのモデルについてです。

 

『原神』の国々は、現実世界の各地域の風土や言語、文化をモデルにしています。

最初の国「モンド」がヨーロッパのどの辺なのかは少し知識がいるかもしれませんが、まあヨーロッパなのはわかりやすいでしょうし、「璃月(リーユエ)」が中国、「稲妻」が日本なのは誰でもおわかりでしょう。

では、スメールは何でしょうか。

 

メソポタミアに起こった世界最古の文明の一つ、シュメールでしょうか?

 

いえ、違います。

 

スメール sumeru というのは、仏教の宇宙論で、世界の中心にある世界で一番高い山です。漢訳では「須弥」と字を当てて須弥山(しゅみせん)と呼ばれます。

仏教発祥の地であり、元々の仏典が書かれたところはインドです。

そして多くの仏典は、古代インド・アーリア語であるサンスクリット語 Sanskrit で書かれてきました。サンスクリット語はずっとインド学術の公用語であり、今でもサンスクリット語で議論のできる学者たちもいます。

また、サンスクリット語はインド=ヨーロッパ語族であり、英語のようなヨーロッパの言語の遠い親戚で、印欧語の中でも古い文法形態を留めている言葉でもある。

 

「スメール sumeru」もサンスクリット語です。

「メール Meru」は古くは叙事詩『マハーバーラタ』に登場する山の名前で、その意味は必ずしも定かではありませんが、このインド神話が仏教にも取り入れられたわけです。

この「メール」に美称の接頭辞 su- をつけて「スメール」です。

 

「須弥」は漢訳でそのまま漢字を当てたものですが、「メール」を高い山だと解釈して、「すばらしく高い山」という意味で意訳した場合もあって、それが「妙高」となります。

日本の新潟県にも「妙高山」という山がありますが、これはこの漢訳仏典の表現から取った名称です。

 

つまり、これがスメールです。

 

日本の妙高山はともかく、仏教宇宙論の sumeru が『原神』のスメールの由来であることは、ゲーム内テキストを中文繁体字に切り替えてみると「スメールシティ」が「須彌城」と表記されることからもよくわかります(繁体字は日本でも戦前まで使われていた旧字体と同じなので、日本人には簡体字よりもわかりやすいでしょう)。

 

とはいえ、「スメール」から「シュメール」を連想してしまうのは、語感としては自然なことです。

インド哲学研究者の定方晟も、この連想に触れた上で「どうもこれは偶然の一致らしい」と書いているくらいです(『須弥山と極楽』、講談社現代新書、p. 16)

 

 

それに、『原神』のスメールに入国したプレイヤーが最初に目にするのはいかにも熱帯の密林。インドのイメージとは隔たりがあるかもしれません。

 

ただ、これは多くの日本人が知っているインドの通俗的なイメージが乾燥気候のカルカッタに偏っているせいもあります。

北部インドには熱帯雨林地域もあります。

 

▼ インドの熱帯雨林研究と保護に取り組んできた学者の記事。これでインドの熱帯雨林のイメージは得られるのではないでしょうか。

 


 

何よりもインド文化モチーフをよく示しているのは、やはり言葉です。

まずは国名に加えて、草神の公称「クラクサナリデビ」もサンスクリット語で、「クラ」は「小さい」、先代草神の「マハールッカデヴァータ」の「マハー」は「大きい」の意です。

 

スメールで最初に実装され、ストーリー上でも最初に出会うキャラクターの一人が、レンジャー長のティナリでした。

ティナリの元素スキル(6つのスキルの上から2番目)の名称が「識果榴弾」ですが……

 

英語に切り替えてみるとこの通り、Vijnana-Phala Mine となっています。

 

最後の mine は英語で、地雷や機雷などのことです。

 
前半部は何でしょうか。
ジュニャー jña とはサンスクリット語で「知る」という意味です。
接頭辞 vi- をつけた上で名詞化した vijñana(विज्ञान)とは、仏教用語で認識能力のことであり、漢訳では「識」と訳されます。
 
接頭辞無しだと「ジュニャーナ jñana」というこの語、『原神』の中で他にも見覚えがないでしょうか。
そう、知識をアーカイヴ化する「ジュニャーナガルバの日」です。ここは日本語版でもサンスクリット語でした。
 
一方、phala(फल)とはサンスクリット語で「果実」のことです。
これが仏教用語では比喩的に、「行為から生じる結果・成果」の意味になり、「引き起こすもの」の方とセットで hetu-phala ならば「因果」と漢訳されます。そう、「結果」という言葉の「果」も元々は「果実」という意味だったわけです。
この「因果」という言葉も今では英語の causality の訳語となり、物理的な作用と結果の意味でも使われていますが、本来は「善いことをすれば善い報いが、悪いことをすれば悪い報いがある」という仏教思想の考えだったわけです。
 
つまり Vijnana(識)-Phala(果)Mine(榴弾)で、英語版ではスキル名にサンスクリット語を用い、日本語や中国語版ではそれに対する漢訳仏典の訳語を当てているのがわかるでしょう。
 
もちろん、このようにサンスクリット語がスキル名に使われているのは、スメールのキャラクターでも一部だけです。
基本的には学識ある設定のキャラクターの一部スキルだけですし、学者設定のキャラでもアルハイゼンのスキル名は西洋哲学寄りです。
こちらも因果の「因」の字を使ってはいますが、「四因」というのはアリストテレスの四原因説でしょう。
 
ただ、キャラクター単独で見ると特に仏教色のないティナリのスキルや、草神の公称、ストーリー中の「ジュニャーナガルバの日」のような重要用語でサンスクリット語が使われているのは、「知恵の国」の学術の言葉としてサンスクリット語を、ひいては国のモデルとしてサンスクリット古典学の国インドを想定しているのを示すわけです。
 
なお、『原神』内では日本をモチーフとした国「稲妻」でも、「一心浄土」などに仏教用語が見られました(「浄土」=清らかな国土で、仏陀の住まう「仏国土」=仏の国を指す)。
ただ、「インド的な仏教用語」と「日本で定着した仏教用語」では被らないようよく工夫しているのがわかるかと思います。
 
それから、今回そちらには深入りしませんけれど、スメールの西半分の砂漠地帯は、中東とエジプトがモデルです。こちらはピラミッドを見ればわかるでしょう。
国の実装に先立って登場していたスメール出身のNPCも、やはり中東系のネーミングだったりしましたので、よけいに中東 → メソポタミア → シュメールという連想に引きずられた人もいたでしょうか。
 

 
ところで、スメールのモデルがインドであることを察していた私のようなプレイヤーの間では、スメール実装に先立って関心事となっていたことがありました。
それは「料理にカレーは実装されるのか?」です。
 
『原神』には多くの料理が登場します。ゲームシステム上は回復やバフを与えるアイテムであり、効果のバリエーションはそこまで多くない(その上、高難易度コンテンツでは使えない)ので、結局材料が入手しやすい料理しか使わなかったりしますが、世界観を感じさせるフレーバーにはなっています。
しかも、「ラーメン」では璃月料理ではなく稲妻料理で、うどんやそばより先に実装されるなど、なかなかこだわりがあります。
 
結論:カレーはありました。
ゲーム内の台詞やロード時に表示される tips にも、カレーの話が出てきます。
 
プレイヤーが使える料理はこれ。名称は「バターチキン」ですが、インド風チキンカレーと見ていいでしょう。
さらにこれをドリーというキャラに作らせた場合にできるオリジナル料理がこちら。ソースを入れるのに使うグレービーポットがついています。

 

しかも、食材アイテム「香辛料」およびその材料となる「ハッラの実」なる植物そのものがスメールでの新規実装。カレーを出すための設定にこだわっています

 
なお、ドリーはランプの精ジンニーを従えているキャラクターなので、
ランプとグレービーポットの形が似ているという点でもイメージが合っています。
 
もっと、ジンニーは『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』などでもお馴染みの中東の伝承の存在。これまたインドと中東が混じってややこしい点であったかもしれません。

 

じゃあ、日本独自にアレンジされた「カレーライス」は稲妻料理として登場しないものかというと……今のところありませんが、ラーメンやオムライスのような現代料理も稲妻料理として登場しているので、カレーライスも可能性自体はあります。

ただ上記の通り、そもそもカレーの材料となる「香料」がスメールと共に実装されたので、それまでは材料アイテムがありませんでした。既存の国の料理が追加されることもちょくちょくあるので、今後可能性がないではない、といったところでしょうか。

 

 
さらなる余談として、サンスクリット語の親戚筋の俗語としてパーリ語 Pali があり、一部の仏典はこのパーリ語で書かれています。
 
上で「jña 知る」というサンスクリット語の単語と、そこからの派生語 vijñana について触れましたが、また別の接頭辞 pra- をつけたプラジュニャー prajña は「智慧」の意味になります。プラジュニャーはパーリ語だとパンニャー pañña となります。
これに漢字で当て字したのが「般若(はんにゃ)です。『般若心経』の般若はこれです。
なぜ鬼女の能面が「般若」と呼ばれるのかは諸説あり、般若坊という能面師の名前に由来するという説、能の『葵上』の中で怨霊が般若心経を恐れる場面からという説などがありますが、とかく元はむしろ怨霊を鎮める「智慧」のことだったのが、怨霊あるいは鬼女の名に転用されているわけです。
 
言葉は人間による世界の捉え方そのもの。
「言葉」の知識がフィクションの世界をもいっそう理解するカギとなれば幸いです。
 

 

【文献案内】

 

本格的なサンスクリット語の時点はデーヴァナガリー文字で書かれているものが多く、アルファベットへの音写で学んでも使えません。こんなのもありますけど、使いこなすのは大変ですね。

 

日本で出ているサンスクリット語辞典はこれでしょう。

 

 

アリストテレスの四原因説については下記。