忘れ得ぬ歌ぱーと859奉頌歌「靖国神社の歌」 | 遊遊のブログ

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奉頌歌「靖国神社の歌」

陸軍省、海軍省撰定
作詞:細渕国造
作曲:和真人


日の本の光に映えて
尽忠の雄魂祀る
宮柱 太く燦たり
ああ大君の 御拝し給ふ
(ああ大君のぬかづき給ふ)
栄光の宮 靖国神社 


日の御旗 断乎と守り
その命 国に捧げし
ますらをの 御魂鎮まる
ああ国民の 拝み称ふ
いさをしの宮 靖国神社


報国の血潮に燃えて
散りませし大和をみなの
清らけき御霊安らふ
ああ同胞の感謝は薫る
桜さく宮 靖国神社


幸御魂 幸はへまして
千木高く 輝くところ
皇国は永遠に 厳たり
ああ一億の 畏み祈る
国護る宮 靖国神社


➡️奉頌歌「靖国神社の歌」は、1940(昭和15)年に、主婦之友社が主催して公募。
当選した細渕国造の詩に、陸海軍の軍楽隊隊員が曲を競作し、結果海軍軍楽隊隊員であった和真人の譜が撰ばれた。選定には、山田耕筰と堀内敬三が当たったといわれます。

陸軍省、海軍省撰定であり「 東京放送合唱団」と、 徳山璉、四家文子の歌唱で収録されました。

靖国神社=戦犯合祀と宣う方にお尋ねしたいのですが、さてこの曲の歌詞の中には、彼らが口にする「戦争賛美」は、全く感じられません。

次後法で命を奪われた殉国烈士(我が国には「戦犯」はいません!)他、軍人、軍属、日赤看護婦、軍属たる囚人、また外地同胞者たる軍人、軍属が祀られている神聖な施設が、靖国神社です。

西村眞悟先生のFBより転載させて頂きました。
長いですが、お読み下されば幸いです。
 
12月23日は、立派さ御最後を遂げた陸軍大将土肥原賢二、同松井石根、同東条英機、陸軍中将武藤章、陸軍大将板垣征四郎、同木村兵太郎、第32代内閣総理大臣広田弘毅ら七名の命日である。

 極東国際軍事裁判
いわゆる東京裁判は、
「平和に対する罪」
という今まで誰も聞いたことのない罪を作り上げ(事後法)、
我が国の戦争指導者を断罪するという復讐であった。
それは、次のように始まり、次のように終結した。

昭和二十一年四月二十九日、昭和天皇誕生日に起訴状公開
同 五月三日、開廷(一年後のこの日、日本国憲法施行)
昭和二十三年十一月十二日、判決、
二十五人のA級戦犯全員に有罪、
内、七名に絞首刑判決
同 十二月二十三日、皇太子(後の天皇、現上皇陛下)誕生日に絞首刑執行

 そこで、何故、
昭和二十三年十一月十二日に判決をだし、
被告人に上訴もさせず、
慌ただしく四十二日後の同年十二月二十三日に死刑を執行したのか。
その理由は、
同年十二月十日に、「事後法」の禁止を明文化した
「世界人権宣言」が国連で採決される予定だったからだ。
「事後法」禁止が国連で謳われてしまえば東京裁判の判決が出来なくなる。
だから、さっさと彼ら七名を殺した。
それは、言わずと知れた、
SCAP(連合軍最高司令官)D・マッカーサーだ。
まず、マッカーサーは、
十二月二十一日に、
七名に二十三日午前0時01分に刑を執行することを通告。
二十二日深夜、
陸軍大将土肥原賢二、同松井石根、同東条英機、
陸軍中将武藤章の四名が
手錠をされ体をロープで縛られたまま一室に集められ、
各人最期の署名をし、水と葡萄酒が与えられた。
手が口まで上がらないので各人介護を受けて水と葡萄酒を飲み、監視の米兵に「世話になった」と礼を述べた。
米兵が感激して握手を求めた。
そして、
四人は微笑みながら絞首台に向かった。
絞首台の上で、彼ら四人は、首に縄を巻かれ
日付が二十三日に変わり
時刻が午前0時01分になるのを待った。
次に、
陸軍大将板垣征四郎、同木村兵太郎、
そして、文官、第三十二代内閣総理大臣広田弘毅の三人が
同じように署名し
絞首台に向かった。
以上、教誨師の僧侶花山信勝師が見届けた。

以上の通り、
七十一年前の今日、
七名は、実に立派な御最期を遂げられた。

彼ら七名の遺体は、
直ちに巣鴨から横浜市西区久保山の市営火葬場に運ばれ火葬され遺骨は太平洋に遺棄された。
しかし、深夜の火葬場で遺骨の一部は確保され、
密かに熱海市伊豆山の興亜観音に納骨され、
昭和三十五年、
松井石根大将の郷里、愛知県三ヶ根山に埋葬された。

なお、処刑時刻を、
二十三日午前0時01分に指定していること、
実に、マッカーサーらしい。
彼はフィリピンのバターン半島から部下を残して敵前逃亡するに至るが、
自分をそこに追い込んだのは、
日本の第十四軍司令官本間雅晴中将が、
昭和十七年四月三日午前0時53分に、
バターン半島総攻撃の命令を第十四軍に発したからであった。
それ故、マッカーサーは、
本間雅晴中将を、
昭和二十一年四月三日午前0時53分に、銃殺させている。
本間雅晴中将は、
その瞬間、「さあ、来い」と言ったという。
亡くなっていった方々に比べ、
マッカーサーとは実に嫌な奴だ。

西村先生は、このように心情を吐露されていますが、いい加減我が国において、○級戦犯の呼称はやめるべきであります。

謹んで全ての殉国烈士に対し奉り、合掌。