忘れ得ぬ歌ぱーと713「帰郷」 | 遊遊のブログ

遊遊のブログ

思い出の曲を、思い出と共に、気ままにアップしたブログです。


帰郷

作詞・作曲:村下孝蔵

哀しい時はひとつずつ やり直すこと教え
傷つけた私の言葉 浮かべては消して

あの時はまだ人生を 決めることが恐くて
ひとり歩きがしたかった 自分を笑って

転びそうになったら
手を差し伸べて下さい
もう一度この都会で逢えたら
貴方の胸に飛び込みたいけれど


寂しい時は懐かしい 子供の頃の唄と
祭り囃子の遠い音が そっと蘇る

見上げれば今黄昏に 渡り鳥は南へ
翳りゆく遥か家路へ 群れなし飛び立つ

明日の朝になったら
故郷に帰ります
もう二度と戻らないと書いた
駅の伝言板 白い文字を残して


➡️村下孝蔵さんのデビュー2年目である1981(昭和56)年6月21日にリリースされた3枚目のシングルで、B面は「未成年」です。

この曲は1982(昭和57)年4月21日にリリースされた3枚目のアルバム「夢の跡」にも収録されました。

「帰郷」の次にリリースされたシングルが「ゆうこ」でした。

アルバム「夢の跡」には
夢の跡
ゆうこ
陽炎
下宿部屋
明日あればこそ
離愁
90ページの日記帳
斜塔
帰郷
夕焼けの町
の10曲が収録されています。

村下孝蔵さんは1953(昭和28)年2月28日生まれで、デビューが1980(昭和55)年5月21日リリースの「月あかり」ですので、当時のニューミュージックシンガーでも遅咲きの方でしたが、一発屋の多かった当時、一発屋に終わる事なく息の長い活動をされました。

アマチュア時代より、その実力は知られていた存在でしたので、満を持して…と言った感じなのでしょう。

この曲は私が大学生の時で、アルバム「夢の跡」も持っていました。
ただし新潟の従兄の彼女さんに取られてしまいまして、その後仕方なくCDを買ったのですが、従兄も新潟、彼女さんは三条。

奴等の馴れ初めは知りませんが、ある日従兄の仕事関係で仙台に移り住みました。

で、姪っ子が生まれ、18まで育ったのに、あの日波に呑まれてしまったのです、一家揃って。

従姉が此木を好きだったのか「ゆうこ」を好きだったかは知りません。

しかし私には帰る故郷がありますが、従兄一家には帰るところはあの世だけです。

奴等は死んだこともわからないで死んでいったと思いますが、私達夫婦は欠かさず彼らを回向させてもらっています。

あれから7年たちました。
姪っ子はいきていたなら25才です。

N.Kちゃんに始まり、I.Kちゃん、C.Kちゃんと続き、祖父が義母が、父が死に、出来損ないの私が生き残ってしまいました。

海はいつも二つの顔を持っています。
無情と非情。
でも私は生まれ変わっても海を嫌いになることはありません。

尊敬する従兄の愛した海ですから…

最後に曽根新五郎氏の句
泥の遺影泥の卒業証書かな