作詞・作曲:三浦和人
窓ガラス 流れ落ちてゆく雨を
細い指先で なぞってみる
くもりとかして すべる指先に
伝わる冷たさ 心にしみる
忘れ去られた 部屋の片隅
貴方の影 今もゆれてる
愛はかげろう つかの間の命
激しいまでに 燃やし続けて
別れはいつも 背中合わせに
人の心を ゆらして
別れ言葉を 口にする貴方は
いつもとちがって やさしすぎた
はき出すタバコの 煙の影が
教えてくれた
偽り言葉と
あつく いだかれた日々を
倖せと言えば かなしい
愛はかげろう さめきった愛の
過ぎ去る後に 残るものは
いつも 女の乾いた涙
さまよい歩く 迷い子
愛はかげろう つかの間の命
激しいまでに 燃やし続けて
別れはいつも 背中合わせに
人の心を ゆらして

雅夢は、三浦和人さんと、中川敏一さんのデュオで、三浦さんは「神田川」を、中川さんは「結婚しようよ」を聴いて、フォークにのめり込んだそうです。
この曲は、1980(昭和55)年5月開催の「第19回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選」優秀曲賞受賞曲(グランプリは伊丹哲也とSide by Side「街が泣いてた」) で、初めて聴いた時は、何と美しいメロディーだろうと思ったものです。
この年3月、児童相談所からの親友…戦友と言っても良い、C,Kちゃんが病気で亡くし、18歳と言うことで里子先を出ることになり、地元の大学にもぐり込み、今から思うと「怠惰」な生活を送っていました。
里親はそんな私を励まし続けてくれましたが、人生僅かに18年で、親しい人を、立て続けに3人亡くした傷は、やっぱり大きかったですね。
この曲が心に染みたのは「人生は蜉蝣である」と、生意気にも悟った様な気になったからかも知れません。
この年ですが、普通の青春…キャンパスライフを送っていたならば、ホワイトデーのブームに乗っかって、Nちゃんにクッキーを送ったでしょうし、山口百恵さんの引退、結婚を嘆いたでしょうし…
あれからもう37年にもなるんですよね。
そう言えば雅夢も「陽炎」の様に、いつの間にか解散していました。