作詞:加藤久美子
補作詞:北山修
作曲:端田宣彦
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ
愛するものの幸せは
愛するものの夢の園は
この世にないと思うあなただったの
さよなら 何も知らない頃
さよなら みんな夢みていた
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ
生きるもののやすらぎは
生きるもののうたう歌は
この世にないと思うあなただったの
さよなら 何も知らない頃
さよなら みんな夢みていた
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ
死なないでね生きていてね
私は一人生きてゆくわ
こわれた愛をいだき
私は生きる
さよなら 何も知らない頃
さよなら みんな夢みていた
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ
さよなら ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ

この曲は、北山修さんの作詞ではなく、A面に寺山修司さんを起用し、B面は雑誌「明星」の読者から歌詞を募集という試みがなされましたが、寺山さんの歌詞が録音に間に合わず、北山作品の「朝陽のまえに」が急遽A面に決定しました。
B面については、予定通り「明星」からの公募で、加藤久美子さんの作詞(北山さん補作詞)で決定したものです。
当初のA面予定曲である、寺山修司さん作詞の「家なき子にも」は、後に杉田二郎さんがソロで吹き込み、アルバム「天地創造」に収録されました。
昭和44年は、大学紛争激化の年で、A面の「朝陽のまえに」の歌詞を考えるに、この曲も大学紛争を歌ったものと考えて良いと思います。
この曲は、何故か自然に覚えてしまった曲でしたが「死んだ男の残したものは」「帰ってきたヨッパライ」と共に、大人の前で歌うと、確実に怒られた曲でした。
「アカの歌」と決めつけられ、親達は警戒していたみたいですよ。今では笑い話ですが……
それにしてもシューベルツは、新潟の従姉曰く「まとまりのないグループだった」そうで、何となく解る気がします。
後期シューベルツの杉田二郎さん、越智友嗣さんのリードボーカルは、今聴いても素敵なんですけどね。