忘れ得ぬ歌ぱーと594「戦争は知らない」 | 遊遊のブログ

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思い出の曲を、思い出と共に、気ままにアップしたブログです。

戦争は知らない

作詞:寺山修司
作曲:加藤ヒロシ

野に咲く花の 名前は知らない
だけども野に咲く 花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの


戦争の日を 何も知らない
だけど私に父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む


戦さで死んだ 悲しい父さん
私は あなたの娘です
20年後の この故郷で
明日お嫁に お嫁に行くの


見ていて下さい 遙かな父さん
いわし雲とぶ 空の下
戦さ知らずに 20才になって
嫁いで母に 母になるの


野に咲く花の 名前は知らない
だけども野に咲く 花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの
ララララ ララララ
ララララ ラララ…
ララララ ララララ
ララララ ラララ…


soon1968(昭和43)年11月10日にリリースされた、フォークルのシングル「さすらいのヨッパライ」のB面曲です。

作詞の寺山修司さんは、かの有名な「天井桟敷」の主催者であり、詩人としても有名な方です。

作曲の加藤ヒロシさんは、ザ・リンド&リンダースのリーダー(ギタリスト)で、寺山修司さんと意気投合して、この曲を作曲したそうです。

寺山修司さんのお父様は、セレベス島で戦死されたそうで、歌詞には当然寺山さんの気持ちが色濃く反映されています。

ところで大東亜戦争は、昭和20年8月15日で終わった訳ではありません。

もっと言うなら、連合軍の中で、ソビエト軍だけが、国際法を無視して、停戦後も攻め込んで来たのです。

昭和20年8月20日は、別名「北のひめゆり事件」と呼ばれる「真岡郵便局自決(九人の乙女)事件」が起こった日です。

この事件は、日本領だった南樺太で、玉音放送後に起こったのです。

私事ですが同じ日に、真岡町中三町にあった、祖父の菩提寺である開法寺も砲撃で炎上し、住職が殉教されました。

この曲の歌詞は、お父様が亡くなられましたが、娘さんはお嫁さんに行くことが出来ました。

真岡郵便局の乙女達も、夢も恋もあったに違いありませんが、ソ連軍の不法により、全てを奪われてしまった。

それなのに私達は、教師逹から「社会主義礼賛」を吹き込まれ続けてきたのです。

戦争はいけないのは当然ですが、いい加減正しい歴史を教育しなければ、どこぞの隣国により、歴史をいつまでも捏造され続けられますよ。

それで良いのですか?