作詞・作曲:加川良
命はひとつ 人生は1回
だから命を すてないようにネ
あわてるとついフラフラと
御国のためなのと
言われるとネ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい
御国は俺達 死んだとて
ずっと後まで 残りますよネ
失礼しましたで終るだけ
命のスペアはありませんよ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい
命をすてて 男になれと
言われた時には
ふるえましょうよネ
そうよあたしゃ 女で結構
女のくさったので
かまいませんヨ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい
死んで神様と
言われるよりも
生きてバカだと
言われましょうよネ
きれいごと ならべられた時も
この命を すてないようにネ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい

この曲を知っている人には、説明は不要かと思います。
加川良さんを一躍有名にしたのは、岐阜県恵那郡坂下町椛の湖で、1969(昭和44)年から1971(昭和46)年にかけて3回開催された「全日本フォークジャンボリー」の第2回大会(昭和45年8月8日開幕)に、飛び入り参加で「教訓I」を歌ったことによります。
この第2回大会の参加者は、赤い鳥、浅川ママキ、五つの赤い風船、中川イサト、遠藤賢司、岡林信康、小野和子、金延幸子、上久保雄志、斉藤哲夫、杉田二郎と一億分の4、ソルティーシュガー、高田渡等々…
いやはや伝説になるわけです。
当時のフォーク界は、関西系の天下であったことは間違いありませんが、世代交代の波が来ていたのも確かです。
その中で加川良さんは、関西フォークの王道、強烈なメッセージソングを引っ提げて、殴り込みをかけたと言って良いと思います。
加川良さんは、私はあまり馴染んでいなかった(メッセージが強烈過ぎ?)のですが、従兄が良く聴いており、従姉の「グループサウンズ」に対抗していたものでした(G・Sは下火だったと思いますが…)
今朝、加川良さんの訃報を、従姉の電話で知りました。
4月5日 9時39分。
急性白血病。
享年69…
また一つ昭和が消えてしまいました。
合掌。