作詞・作曲:西岡たかし
血まみれの小さなハトが
私の窓辺に 私にこう聞くんだ
「この世界の空に
私の休める所は ないのでしょうか
どこの空をとんでも
どこの国へ行っても
傷ついた あの叫び声が
私の心を いやしてくれない」
血まみれの 小さなハトが
私の窓辺で 日に暮に死んだ
「彼のとんだ お空に
平和を見る事もなく
長い旅をつづけた
平和を見つけた時にも
偽りの平和を見て
雲にかくれ泣いたろう
それでも翼を広げて とんだのだ」
血まみれの 小さなハトが
私の窓辺で 死んでしまった今
「彼を葬るより
今のボクらの世界を
見つめる事の方が
偽りの平和の中で
あきらめ暮らすよりも
真の平和創ろう!
それが あの小さな
ハトのためにも」

昭和44年と言う年は、人類初の月面着陸があり、翌年には「大阪万博」を控えているなど、明るい話題もありましたが、釧路も学生運動が吹き荒れており、学芸大学には赤旗が林立していました。
日本の主要な国公立大学や、私立大学の8割に該当する165校が、全共闘による闘争状態にあるか、全学バリケード封鎖と言いますから、私達子供が感じた以上に凄まじかったと言えます。
ただ学芸大学でヘルメットをかぶって、アジっていたお兄さん、お姉さん方は、私達子供には優しく、色々な歌を教えてくれ、私とNちゃんは、この曲と「死んだ男の残したものは」「死んだ女の子」に、強い恐怖を感じてしまいました。
五つの赤い風船は、1969(昭和44)年5月8日に「遠い世界に(B面曲は恋は風に乗って)」でレコードデビューし、特に「遠い世界に」は、私達が中学時代の、音楽の教科書にも掲載されていた曲(この曲も学芸大学のお兄さん、お姉さんに教えて貰った)ですが、流石に「血まみれの鳩」は掲載される事はなかった様です。
この当時、ベトナム戦争は泥沼化し、中国は「文化大革命」の真っ最中。
日本からも、ベトナムに向けて、爆撃機が飛び立って行きました。
そんな中、平和の象徴たる鳩は、あまりにもか弱く無力だったに違いありません。
子供の頃恐怖を感じたこの曲も、今では夫婦共に懐かしく口ずさんでいます。
従姉は、私達がこの曲を歌うと、何故か怪訝そうな顔をしますが…