忘れ得ぬ歌ぱーと346「人力ヒコーキのバラード」 | 遊遊のブログ

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人力ヒコーキのバラード
作詞:山川啓介
作曲:杉田二郎

ある日 僕は夢見た
ヒコーキを作る夢を
自分の足でこいで
ブンブン プロペラまわし
空を飛ぶんだよ
誰も僕を知らない
そんな国へ行きたい
いいのさ笑われても
人には出来ない何か
やってみたいだけ
飛べよ大空高く
僕の作ったヒコーキ
汚れた悲しみには
もうさよならさ


ある日 僕は飛び立つ
昨日の世界はなれ
車も人も家も
あんなに小さくなって
僕を見上げてる
飛べよ大空高く
僕の作ったヒコーキ
汚れた悲しみには
もうさよならさ


soon1972(昭和47)年8月1日にリリースされた、杉田二郎さんがソロになって、3枚目のシングル曲で、B面は「春は寂しいね」です。

この曲のバックは、ガロの日高富明(トミー)さん、高中正義さん。コーラスにはデビュー直前のオフコースの2人が参加しています。

杉田二郎さんは「ジローズ」時代に大ヒットさせた「戦争を知らない子供たち」が有名ですが、ご実家が、京都の金光教島原教会で、現在金光教島原教会副教会長をされています。

お兄様も、金光教の教会長をされていまして、このお兄様とは、何かのご縁なのか、懇意にさせて頂きました。

この曲がリリースされた、昭和47年は、私が10才の時で、児童相談所に保護される前の事になります。

北海道でも、8月は夏休みですが、義父は北洋漁業で、アリューシャン列島に行っていまして、家は私と継母、義弟の3人で、お腹には間もなく産まれる子供がおり、私は継母のストレスの捌け口とされ、毎日が地獄。

そんな中、学芸大学のお姉さんが私を迎えに来て、図書館に連れて行ってくれました。

その時お姉さんがハミングしていたのがこの曲で、図書館で歌詞を教えて貰いましたが、その歌詞を書いた紙は、家に帰ると取り上げられ、捨てられてしまいます。

おかげで、児童相談所に入るまで、歌詞を覚える事が出来なかったのです。

継母が、何故にあれほど私を虐待したのか、今でも解りません。

児童相談所でこの曲の歌詞を覚えた時、とにかく鳥でも飛行機でもいいから、釧路から離れたい、そう思いました。

私と3日違いで入ってきたC,Kちゃんにも教えてあげましたが、彼女も私と同じ思いで、施設に入ってからも、二人でよく歌ったものです。

Nちゃんはこの曲を、すっかり忘れてたみたいですが、それでも一緒にハミングしてくれました。