京都の恋
作詞・作曲:WILSON DON
訳詞:林春生
風の噂を信じて 今日からは
あなたと別れ 傷ついて
旅に出かけて 来たの
わたしの心に 鐘が鳴る
白い京都に 雨が降る
うしろ姿の あの人は
今は帰らぬ 遠い人
涙みせたくないの 今日からは
一度はなれた 恋なんか
二度とはしたくない
このまま死んで しまいたい
白い京都に つつまれて
恋によごれた女は 明日から
白い京都の 片隅に
想い出をすてるの
想い出をすてるの
1970(昭和45)年5月25日にリリースされた、渚ゆうこさんの、4枚目のシングル曲で、B面は「宮崎の二人」です。「京都慕情」と同じく、ベンチャーズの楽曲ですが、こちらは「テケテケテケ」から始まるイントロです。
オリコンチャートで8週連続1位を獲得し、渚ゆうこさん自身、初の85万枚を超える大ヒット曲となりました。
昭和45年は、私が京都から北海道に移って、2年目の事でしたが、この曲がリリースされた時「何が京都なんやろ?」と思った程でした。
この年の出来事と言えば、何をおいても「大阪万博」でしょう。
入場者6,421万 8,770人と言いますから、想像が出来ません(月の石見たかったな…)
その他には
日本航空機よど号ハイジャック事件発生
ケンタッキー・フライド・チキンの1号店が名古屋にオープン
マクドナルド日本第1号店が銀座店にオープン
何かが目につきます。
洋楽では、私の大好きな「サイモン&ガーファンクル」のアルバム「明日に架ける橋」が発売され、当時世界一の売り上げとなりました。
カーペンターズの 「遙かなる影」や「愛のプレリュード」も忘れられません。
私の洋楽好きは、新潟の従姉の影響ですが、小学生にして、怪しげな英語で歌っていましたので、教師はいい顔はしませんでした(しかも言葉は京都・舞鶴弁のチャンポン)
この昭和45年は、学生運動も収まり、万博が大々的に宣伝され、賑やかな年だったと思いますが、連合赤軍だの革マル派だのと言う、物騒な集団が台頭していた年でもあり、大人達は「アカ」の恐怖を子供達に教え込んでいました。
しかし子供達は、学芸大学のお兄さん、お姉さんに歌を教えて貰い、仲良く遊んでいたものです。
汚いジーパン姿のお姉さんも「京都の恋」は歌っていました。
今何処にいるのかは解らないけど、綺麗な声の人でした。