ハチのムサシは死んだのさ
作詞:内田良平
補作詞:むろふしチコ
作曲:平田隆夫
ハチのムサシは死んだのさ
畑の日だまり土の上
遠い山奥 麦の穂が
キラキラゆれてる午後でした
ハチのムサシは向こう見ず
真赤に燃えてるお日様に
試合をいどんで 負けたのさ
焼かれて落ちて 死んだのさ
ハチのムサシは死んだのさ
お日様仰いで死んだのさ
高い青空 麦畑
いつもと変わらぬ午後でした
ハチのムサシは死んだのさ
夢を見ながら死んだのさ
遠い昔の 恋の夢
ひとりぼっちで死んだのさ
ハチのムサシは向こう見ず
お日様めがけて剣を抜き
たたかいやぶれて 死んだのさ
焼かれて落ちて死んだのさ
ハチのムサシは死んだのさ
たしかにムサシは死んだのさ
やがて日は落ち 夕暮れに
真赤な夕陽が燃えていた

平田隆夫とセルスターズは、1968(昭和43)年、武蔵野音楽大学卒の平田隆夫さんが、菊谷英二さんらと結成し、1971(昭和46)年8月に「悪魔がにくい」でデビューしました。
「悪魔がにくい」は、オリコンチャートにおいて翌年1月より5週連続1位を記録しました。
歌詞に内田良平さんを起用して、2月に発売されたこの曲は、その寓話的な歌詞などにより連続ヒットしました。
この曲がリリースされた2月は、札幌オリンピックが開催されていましたが、テレビやラジオから、スゴイ勢いで流れていたのを記憶しています。
昭和47年と言えば、70年安保闘争(学園紛争)が終わってから、まだ2年しかたっていませんでした。
この曲の歌詞は、穿った見方をするならば「ハチのムサシ」は学生運動の闘士たちで「太陽」は現体制もしくは、あり得ないような高い理想を示しているのかも知れません。
それにしてもこの曲、子供達はよく歌っていました。
勿論、意味なんか解っていませんが、この曲を歌っても、大人達は何も言いませんでした。
私の想像ですが、学生運動が終わった事により、子供達に、不必要な干渉をするのを控え始めた…のかも知れません。
奥さんのNちゃんも、この曲を良く歌っていました。
思い出は美しいもの?なのでしょうか、あの頃のNちゃんは、今よりずっと、歌が上手だった様な気がします(笑)