作詞:いまいずみあきら 作曲:郷伍郎
フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
(※)三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ
ホントのことを云ったら オリコウになれない
ホントのことを云ったら あまりにも悲しい
(※)繰り返し
Francine ne nous reviens plus
Pauvre carriere l' enfant perdu
Francine s'est abandonnee
A la couleur de fraternite
Au petit matin du 30 mars
C'eat dimanche
Une vie s'enflamme pour son eternite
A Paris Francine
ひとりぼっちの世界に 残された言葉が
ひとりぼっちの世界に いつまでもささやく
(※)繰り返し
フランシーヌの場合は 私にもわかるわ
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
(※)繰り返し

この曲の背景になった事件を、当時の新聞から転載します。
「三月三十日朝、拡大パリ会議の会場から二百メートルほど離れた路上で三十歳の女性がシンナーをかぶって焼身自殺した。
フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争やナイジェリア内戦に心を痛め、自殺した時もビアフラの飢餓の切り抜きを持っていた。
ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙を書いたこともあると言われるが、家族の話では精神病にかかっていたこともあるという」(朝日新聞記事から)
フランス語部分の訳は
「フランシーヌはもうわれわれのところに戻ってこない。この子はかわいそうな人生を終えた。3月30日の何ということもない朝、フランシーヌは友愛の旗印に我が身を委ねた。それは日曜日のことだった。パリで一つの命が永遠に燃え尽きた、フランシーヌ」
と言うものです。
この事件は、私達子供にも衝撃でした。
この曲がテレビで放映されると、耳を塞いだものです。
ところが時は流れて我が愛しの姪っ子曰く「燃える様な愛って凄い!」だそうです。
明日で48年にもなるんですから、こんな解釈?
日本教育の限界ですね。