忘れ得ぬ歌ぱーと262「私の歌」 | 遊遊のブログ

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私の歌

作詞:喜多條忠
作曲:都倉俊一

海の黄昏は 私の心に
いつかどこかで出会ったような 白い小舟を繋ぐ
遠い世界へと 白い帆を広げて
愛の言葉 溢れる海へ 私は漕ぎ出す
たとえ嵐が来ようと 私には歌がある
孤独と愛の歌を 私は歌おう


海の黄昏は 私の心に
長い髪した少女の影を 淡く映してみせる
遠い悲しみを 隠した灯台
愛の名残り 懐かしむように 明かりを灯して
たとえ嵐の夜も 消えないランプのように
孤独と愛の歌を 私は歌おう


たとえ嵐が来ようと 私には歌がある
孤独と愛の歌を 私は歌おう


soon1976(昭和51)年6月25日にリリースされた、松崎しげるさん5枚目のシングルで、同じのグリコアーモンドチョコレート(三浦友和出演)のコマーシャルソングとして使用されました。

この曲は松崎しげるさんが、フランクシナトラの「マイ・ウェイ」の様な曲を…と、作曲の都倉俊一さんに依頼し、出来上がったと言うエピソードが残っています。

松崎しげるさんが歌うグリコのCM曲では「黄色い麦わら帽子」が好きでしたが、この曲を聴いたとき、スケールの大きさに圧倒された様な気がしました。

昭和51年と言えば、私は中学3年生で、高校受験に向けて、本当に仕方なく里子先のN,Kちゃんと共に机に向かっていました。
そんた時に、ラジオからこの曲が流れてくると、私もN,Kちゃんも、シャープペンシルを持つ手を止めて聴き入ったものです。

そんた時に、お茶を持ってきた「お母さん」が入って来ると大変。

「あんた達、勉強進んでるの?」

私達(と言うよりN,Kちゃん)は、計画的に物事を進める人でしたから、それ以上の「小言」はありませんでしたが…


この曲は、ギターで弾き語りするには、大変難しい曲でしたので、私もカラオケ以外では歌った事はありません。

勿論当時はカラオケなんかありませんでしたので、みんなアカペラで歌っていた様な気がします。

私達の年代から上は、意外と音程を無視して歌う人が多いのは、カラオケが無かったからでしょうか…

ちなみに奥さんのNちゃんも、音程を無視して歌う人です。

N,Kちゃんは、この曲よりも「黄色い麦わら帽子」が好きだったみたいで、彼女に関して言うなら、NちゃんやC,Kちゃんが嫉妬する位、綺麗な声の持ち主でしたね。

もっとも、あの二人が酷いのですけど…(笑)