檸檬
作詞・作曲:さだまさし
或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う
喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ遠くへ投げ上げるものよ
君はスクランブル交差点斜めに渡り
乍ら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにも
かつて使い棄てられた愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が舞い下りて
それをついばんでいる
喰べかけの夢を聖橋 から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ

この曲を聴いたとき、
「私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈たけの詰まった紡錘形の恰好かっこうも。―結局私はそれを一つだけ買うことにした…」
と言う、私の好きなフレーズがある、大正14年に発表された、梶井基次郎の小説「檸檬」を思い出したのですが、この曲の舞台は東京で、小説の舞台は京都ですから、不思議な感じがしました。
この年の冬休み、Nちゃんと湘南をぐるりと回る旅行をしましたが、上野駅から、特急「はつかり6号」に乗るまでの時間つぶしに、渋谷を歩いたのですが、Nちゃんは聖橋も湯島聖堂も見ていません。
ただ、山手線の車窓から、オレンジ色の快速電車と、レモン色の総武中央線各駅停車は見ていますので、この曲がシングルカットされた時「○ちゃん、これって東京で見た電車だよね。歌になったんだね!」と興奮気味でした。
今年はNちゃんを連れて、湘南、都区内と思い出探しの旅を、と思っていますが、あれから38年ですから、多分Nちゃんは目をまわしそうですね。
まさか歌詞の様に、檸檬を放らんだろうな…
ちと心配しています。