忘れ得ぬ歌ぱーと170「津軽海峡冬景色」 | 遊遊のブログ

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津軽海峡冬景色

作詞:阿久悠
作曲:三木たかし

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ
泣いていました
あゝ 津軽海峡 冬景色


ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が指をさす
息でくもる窓のガラス
ふいてみたけど
はるかにかすみ見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする
泣けとばかりに
あゝ 津軽海峡 冬景色


さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする
泣けとばかりに
あゝ 津軽海峡 冬景色

soon1977(昭和52)年1月1日にリリースされた、石川さゆりさんの15作目のシングルで、その年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞しました。

北へ行く列車の歌は沢山ありますが、青函連絡船を…と言うのは記憶にありません。

この歌詞の夜行列車は、おそらく常磐線、東北線まわりの寝台特急「ゆうづる5号」で、青森には7時5分到着。船は7時30分出航の5便(函館到着11時20分)と思われます。

歌詞の中で「竜飛岬」が連絡船から見える光景が描写されていますが、青函連絡船が通常航路をとった場合、竜飛崎は船内から見ることはできまません。なお、青函連絡船最末期の航海では、船長のサービスにより竜飛崎が見える航路をとったこともあるみたいです。

私は連絡船を利用するのは、殆ど夜行便でしたので、昼間の津軽海峡を見たのは、数える位しかありません。

連絡船は出航30分前と、出航離岸時に、又入港30分前と着岸時に、汽笛を鳴らします。

それは殆ど狂いがなく、青森や函館の人たちは、時計代わりにしていたとの事です。

晴れていたら、最高の航海ですが、時化ると大変。
下船時は、死人の群れが、足を引きずりながら、タラップを降ります。
しかし、降りた瞬間、目指す列車にダッシュ!
これを「函館マラソン」「青森マラソン」と言います。

そんな光景も、1988(昭和63)年3月に青函トンネル開通で見られなくなり、その代わり連絡船の記憶を残す…と言うのか、1995年(平成7年)7月、青森市の旧青函連絡船八甲田丸前、1996年(平成8年)7月に竜飛岬と、歌詞に登場するゆかりの地にそれぞれ歌碑が建立されました。

あと80日で北海道新幹線開業です…