傷心
作詞・作曲:大友裕子
貴方の後姿
だんだん小さくなる
一度も振リ返らずに
去って行くのね
サヨナラも言えないまま
こうして立っているだけ
今更呼びとめたって
どうにもならない
同じベッドで眠って
同じ朝を迎えた
だけど 互いに
違う事 考えていた
今まで何度も恋をした
だけど 貴方となら
死んでもいいと思った
貴方の後を追いかけ
うしろから抱きしめたい
貴方の背中にもう一度
顔をうずめたい
瞳をとじてみれば
貴方のやさしい顔
二人で
やってゆこうと言った
貴方のコトバ
同じ夢を追いかけ
同じ風に吹かれた
だけど 互いに
違う事考えていた
何にもしてやれなかった
だけど 貴方となら
死んでもいいと思った
貴方となら二人なら
死んでもいいと思った

1978年(昭和53)年10月1日に開催された第16回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会に東北大会代表として出場し、この曲で優秀曲賞受賞を受賞しました。
ちなみに第16回大会では、グランプリが円広志さんの「夢想花」入賞にはチャゲ&飛鳥の「流恋情歌」クリスタルキングの「明日への旅立ち」など、その後デビューするアーティストも受賞しています。
この後大友裕子は1978(昭和53)年11月12日に行われた第9回世界歌謡祭にて「傷心」で最優秀歌唱賞に選ばれました。
彼女の曲を初めて聴いたときの衝撃…歌詞もさることながら、その歌声に圧倒されました。
前の年の12月にN.Kちゃんを亡くして、まだ腑抜け状態だった私には、この曲を受け止めるにはあまりにも強烈かつ、残酷すぎました。
確かにNちゃんやC.Kちゃん、Aさん等の存在は大きかったですが、身近な人間を、目の前で亡くした悲しみは、大きすぎるものでしたから…
この3人にはずいぶんと背中を叩かれ助けられました。
しかしその年の9月に私を兄と慕ってくれていた、N.Kちゃんと同じ病院にいた子が、昭和55年にはC.Kちゃんが亡くなるに及んで、私はキリスト教信者を辞めました…