作詞:藤田まさと
作曲:平川浪竜
母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
「また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない…
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか…
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ…
帰れないなら大きな声でお願い…
せめてせめて一言…」
呼んで下さい おがみます
あゝおっ母さん よく来たと
海山千里と 云うけれど
何で遠かろ 何で遠かろ
母と子に
「あれから十年…
あの子はどうしているじゃろう
雪と風のシベリアは寒いじゃろう…
つらかったじゃろうといのちの限り抱きしめて…
この肌で温めてやりたい…
その日の来るまで死にはせん
いつまでも待っている…」
悲願十年 この祈り
神様だけが 知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの
杖ひとつ
「ああ風よ心あらば伝えてよ
愛し子待ちて今日も又
怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を…」

岸壁の母とは、戦後シベリアに抑留された息子を、舞鶴港の岸壁で待つ母親の事で、モデルとなったのは、端野いせさんと言う女性です。
端野さんのご主人は、青函連絡船の乗組員で、息子さんは戦後シベリアに抑留されました。
1956(昭和31)年12月26日, ナホトカからの引き揚げ船最終船「興安丸」が舞鶴入港しましたが、息子さんの姿は無かった。
私は舞鶴市の生まれですから、引き揚げの事は、幼い頃から聞いていました。
祖父が樺太引き揚げ者でしたので、余計に聞かされていたのでしょう。
舞鶴は「岸壁の母」が有名ですが、悲しみを同じくする「岸壁の妻」も、同じく平岸壁に佇んでいたそうです。
祖父から聞かされて引き揚げ船の名前…
興安丸
白山丸
高砂丸
白竜丸
大郁丸…
その他にも沢山聞いたのですが、今ではこれくらいしか覚えていません。
この中の一隻だけでも残せなかったのでしょうか、この国は…