忘れ得ぬ歌ぱーと45「釧路の駅でさようなら」 | 遊遊のブログ

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釧路の駅でさようなら
作詞:吉川静夫
作曲:豊田一雄
1…いつも貴女が つけていた
口紅いろの 赤い灯が
挽歌の街に 滲む頃
霧笛の音も 泣くような
釧路の駅でさようなら
あぁ さようなら

2…なみださしぐみ 振り返る
アカシア並木 花がちる
いつまた逢える 君なのか手と手をかたく 握りしめ釧路の駅でさようなら
あぁさようなら

3…さらば無事でと 身を寄せる
二人をはなす 夜の汽車
いのちの炎 燃やしつつ
海ある町よ さいはての
釧路の駅でさようなら
あぁ さようなら

soon昭和33年 三浦洸一さんのヒット曲です。

歌詞の中に「挽歌の街」とありますが、昭和30年6月から翌昭和31年7月まで釧路で発行の、ガリ版刷りでワラ半紙を綴じた同人誌「北海文学」に10回にわたり連載された原田康子の、約800枚に及ぶ長編小説です。

映画化によって空前の「挽歌」ブームが起こりましたが、私が生まれる遥か前の話(主人公の兵藤怜子役は久我美子さんで白黒。リバイバル作品では、秋吉久美子さんが兵藤怜子役でカラー)です。
私は新潮文庫で、中学2年の時に読みました。ませていたかも知れません。
話はそれましたが、この歌は、挽歌にも出てきます、函館行急行まりもの発車(20時30分)の際に、ホームに流された曲です。

当時を知る方から聞いた話ですが、まだまりも号が蒸気機関車(D60 のちにD51)が引っ張っていた時代。

この曲が終わると、蒸気機関車の汽笛が鳴り、ゆっくりとホームを離れたとの事です。

そして見送りの人の輪から「万歳」の声が…

釧路を離れて、中央に戻る人への激励なのか、それとも、釧路に残された人たちのやるせなさなのか…

急行まりもを使って東京に行くのが最も早かった時代(翌々日の8時) 釧路は確かに、日本の果ての街でした。