日本語教育とドイツ語教育② | エルコのブログ ~ドイツはライン川のほとりで~

エルコのブログ ~ドイツはライン川のほとりで~

ドイツはライン川の近くに住むエルコが、日常の風景をお届けします

日本語教育の謎はまだあります。
 
何というか、至れり尽くせり…というのが私の感想です。
 
 
ドイツ語学習用テキストと日本語テキストを見比べると、ドイツ語テキストはAとBの会話といった形式は最初だけで、広告や簡単な文章がもう出てきます。
 
 
ドイツ語も最初は挨拶と自己紹介から始まるますが、次は名前を尋ねたり出身地を尋ねたり。
でも、1課の3では上には既に長い文章が出てきます。
 
日本語のテキストは文法の解説も載っているんですが、会話はごく短いもので
例えば、自己紹介は
私は佐藤です。初めまして。
私はジョンです、初めまして。
 
これだけ。
文法は「私は~です」というのを学ぶらしい。
解説が来て、この後もしつこいくらい同じような例文が続く。
 
英語の解説付きテキストもドイツ語も、同じような感じ。
会話が短く、繰り返す内容。
 
シチュエーションも日本語テキストとドイツ語では違います。
ドイツは日常生活がテーマで、色々な場面が想定されていますが、日本語は大体学校かホームステイ先。
 
ドイツ語を学ぶ場合形容詞や動詞の語尾変化はそこまで詳しく解説されませんし、不規則な変化も容赦なくしれっと出てきます。
日本語の場合、形容詞だけの課や動詞の変化の課があります。
日本語とドイツ語では全く違いますから、どちらのテキストや勉強方法が優れていると言いたいわけではありません。
 
 
私がかつてドイツ語学校でドイツ語を学んだ時の話ですけど、会話の中の単語は勿論変化したもので、自分で原形を調べたし自分で変化の仕方を練習しました。
ドイツ語では名詞によって動詞や形容詞が変化ますし、時制によっても変化しますから、それらを自分でいちいち必死こいて覚えなければなりません。
変化の仕方は一つではありませんし、それこそ人称によっても違うから大変。
文法を習う上で必要なので先生は文法用語も(説明もなしに)使いましたし、それらは自分で意味を調べました。
 
だけど、日本語の本を見ていると、日本語学習者は自分で意味を調べないのが前提なのか?と思うことがしばしばあります。

文法用語だって自国語にある筈です。

でも、それを使わない。
直接法(日本語で日本語を教える)だと、意味が分からないでしょう?ということらしいですが、私はドイツ語をドイツ語で学びました。意味が分からなければ自分で調べるし、それこそ先生に聞いたりもしました。
勿論、返ってくるのはドイツ語での説明ですけども…。
 
で、教師になる方法を学ぶ側からすると、例えば直接法で授業をする方法も学びます。
その時に、例えば「うるさいと静か」という単語について説明をする時(←この時点で疑問符)、机をどんどん叩いたりしてうるさいを表現する。そして、「これは“うるさい”」その後その動作を止めてしーんとしたら「これが“静か”」と教えるんだそうな。
日本語ができない人たちが日本語を勉強しに来ているんだからということらしいのですが、自国語にもうるさいと静かはあるのでは??
様々な国から来ているから、英語で説明しても英語が分からない人には伝わらない。
そりゃそうです。
だけど、ひらがなで「しずか」「うるさい」と書いて、自分で自国語の意味を調べることもできるのではないか?と思うのです。
授業中にそんな時間はない。
そうかもしれません。
だけど、子供じゃありませんよね?
 
私も一番最初は市民学校のドイツ語の初級コースに通いました。
ABCのドイツ語の読みをやったり、数字を学んだり。
でも、先生は例えば「お名前は何ですか?」の時に、自分の名前を書いて/言ってから、これは「名前」なんてやり方はしませんでしたし、私たちもそんなものを望んではいませんでした。
それこそ国は様々。
「私は〇〇に住んでいます」「あなたはどこに住んでいますか?」というのを習った時も、3本の指を使って語順を教えてくれたくらいです。
重要なのは動詞が2番目に来ることなので、その時は2番目の指を動かしたりしながら動詞を強く大きく、そして何度も繰り返しました。
 
教え方は人それぞれですし、これはその先生が編み出した方法かもしれません。
そしてこれまた日本語とドイツ語では全く違う言葉ですので、この方法が日本語にも当てはまるかどうかは分かりません。
 
だけど、先の例のうるさい/静かの場合、生徒たちがちょっとざわざわしていたら先生が大声になったり、何かを怒ったような顔で言えば言わんとすることは分かる筈です。
日本語の場合、転ばぬ先の杖というのか、そういうことが起こった時を想定して、うるさいと静かを先に教えるのかな?
だけどまぁ、それは単に教え方の方法を学ぶ一つの例だっただけで、大した意味はないのでしょうけど、ついつい余計なことを考えてしまいます。
 
大学の時、日本語教師のコースを取った友達が言っていたのを思い出しました。
外国人に日本語を教える時の方法で、例えば辞書という言葉を教えたい時には、実物を見せるのが良い と。
それは、この机を叩いてうるささを表現する方法と同じということですね。
 
だけど、言葉を覚える時、名詞や形容詞、動詞などというのは結局は自分で調べるしかないのではないかと思います。
そんなこと、いちいち教えてくれる人はいませんから。(特に名詞)
 
日常生活で、知らない言葉に出くわした時に採る方法は2つ。
自分で辞書を引くか、人に聞くか。(当たり前)
だけどドイツ語の場合曲者で、日本語の1語に対して違う単語が出てくる、出てくる。
どの状況にどの単語が当てはまるのかさっぱり分からない。
 
例えば、私が学校の先生に何かのレシピが欲しいから書いてくれと頼まれた時のこと。
日本語では手順2に1を加えるとか、粉を足すとか言います。
日本語を直接訳すしかできないので、この加える/足すを調べました。
その時出てきた単語は「addieren」。
勿論、そのまま書きました。
それを先生に出す前に大家さんに見てもらったところ、目が点になってしまいました。
色々考えてくれてるんですけど、全然分からないみたい。
どういう意味?と聞かれても、今度は私がそれに答えられない。
「見たところ、これは何かのレシピみたいだけど、それだったらこの単語じゃないよ」と言われました。
この単語は、数学などで使われる「加算する」という意味だったんです。
 
なので私は、「傍に聞ける人がいるなら、人に聞け」が正解だと思っています。
だけど、やっぱり基本は辞書でしょうかね。物の名前なんて人に聞くまでもありませんし。
 
でも、日本語を教える側として勉強した時にこういう説明を見てしまうと、調べることを前提にしていないのかな?と疑問に思います。
 
教え方の一つの方法として学んだわけでして、必ずこの通りに教えなければならないわけではありませんが、自分が外国で外国語を外国語で学んだ身としては、疑問符が付きまくって先に進めないのです。
 
繰り返し繰り返し練習させて、定着させてください。
やる気をなくさないように励ましてください。
 
こんな指導もありました。
ドイツ語の先生になるのにそういうことを学ぶのかどうかは分かりませんが、語学学校に来ると言うのは既にやる気があってくると思いますし、目標があるからでもありますよね。
必要に迫られてというのもあると思いますが、それで「やりたくないのにやらなきゃいけない」って不貞腐れてる大人って、いるんでしょうか?
定着させるのだって、学校を離れてから自分でどれだけ練習するか/使うかにかかってると思います。
子ども扱いなのか、お客さんだからもてなさなければならないという理由なのか…。
 
なんか、私、教師に向かないかも