倉沢愛子「大東亜」戦争を知っていますか その3 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

倉沢愛子「大東亜」戦争を知っていますか 講談社現代新書

68ページに、「インドネシアは日本軍の降伏後の1945年8月17日に独立宣言したのだが、そのオリジナルの宣言文の日付が「05年」で、これは、日本の神武天皇以来の「皇紀05年」のことで、このように、日本はインドネシアを洗脳したのだと、鬼の首でも取ったように倉沢愛子は言う。

しかし、それなら、なぜ現在のフィリピン人や、南米諸国の人々は、ローマ法王を崇拝して、キリストの誕生を基準にする暦法を採用しているのか。

 それはいいのか。

 また、観国が中国の暦法を何百年もの間、使用したのに、いまはクリスチャンが多く、西暦を使用しているのは、倉沢愛子に言わせれば、韓国の人々は儒教を西暦によって破壊され、外来のキリスト教が焼結を極めているのでなげかわしいということにならないのか。どうして倉沢には、日本の皇紀何年だけ、そんなに極悪に感じるのだろう。

 しかも、1945年8月17日にインドネシアが皇紀を採用してなにが悪いのか。

 年から言えば、つまり、日本が強制できるわけもなく、インドネシアの勝手ではないか。

 倉沢は、いや、日本の天皇制は明治以来、戦争の連続で、天皇というのは、凶暴なんだというかもしれないが、キリスト教は宗教戦争をしたし、魔女狩りをして、無実の人を火あぶりにする。キリスト教国家、アメリカの内戦は、死者60万人だ。

 なんで、天皇がそんなに危ない宗教なら、朝鮮半島や台湾の人々をホロコーストしなかったのだろう。

 また、天皇在位の長い歴史の中で、奈良から、明治までは、どうして、秀吉しか、海外戦争しなかっのか。日清日露戦争はどうして、もっともっと第一次世界大戦のヨーロッパや朝鮮戦争みたいに大規模に戦争しなかったのか、おかしくないか?

 キリスト教がヨハネの黙示録に言うように、人間の歴史の爛熟の果てに人間世界の終末を迎えて、神の審判を受けるように、マルクス主義は、先進資本主義国家は、その存在自体が罪であり、経済の解決不能な恐慌と苦し紛れの戦争の末に、社会革命が起こり、その時、革命に貢献した人が民衆の司祭として、共産党の前衛となる。つまり国家はつねに悪なので、やることなすこと、すべて裏があり、なにかかねもうけや、民衆抑圧をたくらんでいることになる。

 そこで、原発稼働は、将来の核戦争の布石であり、アジア植民地解放理念などは、ウソで。天皇制による世界支配の野心だとなる。国家秘密保護法は、なにか戦争の目論見を隠したいに違いなく、学校で君が代を歌わせるのは、天皇に忠誠心を持たせて、また戦争をしたい体と解釈する。


 倉沢がいかに、欧米は認めても、日本だけはいいとこはこれっぽちもないと言いたいか、よくわかる部分が、223ページにある。
「日本製の独立は無効だして御破産にされてしまった。
フィリピンもビルマも決して、1943年を独立の年としていないの。その後で、アメリカやイギリスが独立をあたえてくれた年を、つまり、1946年と1948年を、独立の年としているのよ」と娘のロミちゃんに教えている。

 ここに、倉沢愛子の「大東亜戦争、日本侵略論」のかんどころがある。つまり、日本の欧米植民地支配解放理念などはする必要はなかったのであり、欧米は日本がそんな事をしなくても、自ら、その後で、アメリカやイギリスが独立をあたえてあげて、アジア諸国はありがたく解放してもらったのだから、日本が植民地解放だなんて、支配の口実で、その証拠に、朝鮮半島の奴隷状態も、アメリカさんが解放したではないの、といいたいらしいのだ。

 しかも、その一方、英米フランスののフィリピンやインド、インドシナへの植民地実績を批判しないわけにられないものだから、230ページにこう書いている。

「朝鮮半島の来た半分は中国がバックアップした。
そして、「ベトナムでは、北部に共産党政権が出来ていた。アメリカは「ドミノ理論」を信じて恐れていたの。とロミちゃんに教えている。

 あきれた。アメリカは「ドミノ理論」を信じて恐れていた、というのは、信じて、恐れる・・・つまり、アメリカは迷信のような、まちがった理論を信じて、ベトナム戦争に突入したのだというのだ。

 それでいて、倉沢は、絶対に、共産主義を「信じて」とは書かない。

なぜ、倉沢愛子に、中国が北朝鮮を「バックアップした」などとたのもしそうに、書くのかというと、ただただマルクス主義の基本理念、強国の帝国主義が弱い国を植民地化して搾取するのであり、中国、北朝鮮、韓国が他国を植民地化したことがないから、よさげに見えてしまうのだ。

 だが、倉沢愛子のような左翼が根本的に間違えているのは、総合的に観て、「帝国主義国家解釈の」の枠組みさえはずせば、日米よりも、中国、韓国、朝鮮のほうが、民衆を残虐に抑圧してきたのであり、古きよき時代など、ひとつもなかったのだ。


 235ページに倉沢愛子は、平気で「占領によって被害を与えたアジア諸国に日本は、賠償をはらわなければならなくなったの」と書いている。これには、驚いた。

 欧米が屁理屈つけてこういうなら、わかるが、日本が占領したのは、オランダ領であり、」イギリス領であり、アメリカ支配のフィリピンを占領したのである。

 これは、現地の人々にしてみれば、アメリカやイギリスにダムも用水路も、発電所も作ってもらえず、こき使われて、最後に、日本に賠償してもらえというのは、なんだか「ごまかされたようなものではないのか。

 日本が日韓条約で、韓国の多額の金銭を渡したのなら、インドネシアビルマ、ベトナムなどはそれぞれ、日本ではなく、永年の虐待の賠償をもらうべきなのに、倉沢は日本が「占領の損害」を払うべきだという。染料の損害を受けたのは、搾取を停止させられた、フランス、オランダ、アメリカ、イギリスで、現地んぽひと微徒派日本が占領した時点で、欧米人が去って、こきつかわれなくなったから、和気藹々とした部分もあったのが本当だろう。

 だが、こうした欧米の理不尽なウソ八百も、東南アジアの人々はだまって、聞いているほかなかった、彼らは、「なあ、日本なんかに頼らなくても、おれらが、独立を許したろう?お金は日本から、取っていいからな?」とやった。倉沢愛子はこの欧米の言い分のおかしさに気付かなかったが、東南アジアの人々はうすうす、なにを言うか、と気付いていた。そtれが、戦後60年70年過ぎるに連れて、いよいよ、日本人への信頼の強さとなって現れてきている


歴史はマルクス主義・ダーウィンの進化論、キリスト教の終末論のようには、必然的な進行過程を持たない。

 日本文学に、夏目漱石、太宰治、宮澤賢治クラスの天才が、作家の数が多くなっても現れず、(村上春樹はカート・ボネガット、レイモンドカーバーのミックスだが、漱石、太宰、賢治は誰の真似ともいえない。)映画界に黒澤も、小津も、テレビの出現ゆえにもはや生まれ得ないように、明らかに、現代人は精神の退行現象をおこしており、進歩は必然でもなんでもない。