わが「天皇論」 | 気になる映画とドラマノート

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厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

戦後のバラエティー番組とお笑い番組、アメリカの映画、ドラマにどっぷりつかっていきたせいなのか、私には皇室に対する崇敬感もいっさいないし、生まれが田舎ということもあり、大人になって長いこと住んでも、明治神宮に行ったこともなければ、皇居参賀に行ったこともないし、伊勢神宮うあ出雲大社にいきたいとも思わない。

 


 

 しかし、それでも、では皇室がなくなればいいとも思わない。皇室がなくなって欲しいと切実に思う人は、英国王室もスエーデン王室も無くなってほしいのだろう。いや、そうではなくて、皇室こそ、何か悪魔のごとき元凶なのだろうか。

 


 

 テレビにしばしば登場する在日韓国人の教授パク・イル氏や姜 尚中は、天皇の戦争責任を言う。それなら、戦争をはじめたという意味では、女王陛下の責任はどうなるのか、いや、天皇は主権者だったというなら、本気で天皇が自分の「思い」でああしろこうしろ、と指揮をして戦争が行われたと信じているのだろうか。

 


 

 実際、実情は、日本の昭和天皇も、イギリスの女王陛下も、政府首脳が決めたことを承認したに過ぎず、天皇が政府の元老や内閣が思いつきもしないことを先に考え出して指示を出したというなら、まさにそれは皇帝ナポレオンやロシアの皇帝、清国の西太后のようなもので、なにをどうわがままを言おうと、その通りにしなければ殺されるおそれがあったろうが、日本の天皇の大権とはそういうものではない。結局は、「天皇の考え」が絶対だったのではなく、「国会の論議」と「内閣」とマスコミの世論形成、の過程を経て決まったことを天皇に上奏したのであって、その逆はなかった。

 


 

 そして、天皇が再三、戦争は避けられないのか?なんとかできないのか?と聞いても、天皇の意思に沿った結論がだされることはなかった。

 


 

 終戦の詔勅は天皇の決断だったと言っても、いい加減、戦争継続派と降伏派が五分五分に分かれてから、天皇の意見をいうことが許されたのであって、戦争継続派が優勢なうちは、天皇の意思を「本当はどう思っているのですか」御意のままにしますよ、なんて事はなかった。

 


 

 これで、いったい、どこが大権なものか、統帥権なのものか。

 


 

 要するに、借金の保証人が実際には、浪費した本人ではなくても、その借金の保証人が嫌いな人は何がなんでも、ハンコをついたお前が悪いのだろう、とここを先どと、悪行雑言の限りを尽くすが、とくに恨みもなにも、ない人は、あらあの人は気の毒なことよ、あの人はいかにハンコをついたとはいえ、本人がお金をつかったわけでもないのに、というわけで、天皇責任論とは、本来は実質政治権力の飾り物に過ぎないならば、その、政治権力を打倒すればそれで住むのに、八つ当たりしているようなものなのだ。

 


 

 なぜ、八つ当たりと言えるかといえば、天皇のいない中国も、ソ連も、アメリカも戦争をしまくっており、核を配備しており、現に天皇のいる日本は事実上、戦争をしていないではないか。