東條英機の悲劇 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

では、なぜ英国、米国は日本に対する経済制裁に踏み切ったのか。

 


 

 一般に東条英機らが、真珠湾攻撃直前まで、開戦を迷い続けたようにいわれているが、真珠湾攻撃は12月8日であり、日本がフランス領インドシナ半島、現在のベトナム、カンボジアに入ったのが、7月28日だ。

 


 

 このインドシナ半島周辺には、アメリカ領フィリピンがあり、イギリス領マレー、シンガポール、オランダ領ボルネオ、スマトラがある。

 


 

 英米蘭にしてみれば、にわかにショバ荒らしが侵入したに等しい。

 


 

 このあとに、石油輸出の禁止、日本の対外資産凍結が行われる。

 


 

 そして、この石油輸出と対外資産凍結を、戦争して、講和条約を結んで解除してもらおう、というのだから、本末転倒していることがわかる。

 


 

 石油輸出と対外資産凍結をやめさせるためには、インドシナから撤退すればよい。それをしない底意とは、既成事実を作って、あとは東条英機に任せるという近衛文麿の策略だった。

 


 

 これで、開戦責任は東条英機に押し付けることができ、東条内閣と陸海軍首脳は、いまさらのインドシナ撤退という批判だの「ブレた」だのの批判が重荷になり、これで

 

「戦争して、講和条約を結んで解除してもらおうという選択枝」をえらばざるを得なくなる。

 


 

 だが、元元、近衛文麿が、インドシナ進駐をしなければよかったし、進駐して経済制裁されたら、撤退すればよかったのに、後始末を東条英機内閣にまかせた。

 


 

 まさに近衛文麿の詐術にひっかかったに相違ない。

 


 

一般にハルノート、ABC包囲網に対する自存自衛という言い方が保守派からなされるが、真相はそうでない。まず、近衛が朝日新聞の尾崎秀実らにひきずられてインドシナ半島の進出し、経済制裁を受けたまま、放り出して東条に渡したからこそ、ハルノートが極めて重いダメージになったのであって、インドシナ半島進出という行為が相手の経済攻撃のもとになっているのだから。

 


 

 人間に例えれば、相手につばをはきかけて、殴られたから。正当防衛で殴り返した、と言っているようなもので、つばをはきかけたことを忘れているのが「自存自衛論」なのである。

 


 

 そして、このつばを吐きかけたのは、東条英機の意思ではなく、戦争をしたい人間がわざとしたことだった。

 


 

 つばをはきかけた人間は逃げて、喧嘩はダメだ、話をしようと思った人間が残り、つばをかけられた者が、話し合い主義の人間を殴る。なぐられたから、なぐりかえさねばならない、というのが、東条内閣の立場だった。東条内閣自身は、受身で、東条内閣に「正当防衛意識の」戦争をさせようとしたのは、つばをかけてさっと逃げた近衛首相だ。

 


 

 つまり、これで東条内閣の面々が靖国神社にまつられているからと言って、侵略肯定にはならないのじゃないか。

 


 

 だいいち、東条内閣が決定したのは、日米戦争であって、対中戦争ではない。

 


 

 日中戦争を決定推進したのは、近衛文麿であり、中国が許すべきでないのは、東条内閣ではなく、近衛内閣なのだ。

 


 

 東条内閣のメンバーは日中戦争をよしとしていたわけではなかった。

 


 

 東条内閣が裁かれたのは、対米戦を決意したからである。

 


 

 どうして、内閣個別に考えなければいけないかというと、B級裁判が、ここの残虐行為等について、個人的に裁くものであり、A級戦犯もある者は、無期、ある者は死刑であったことからわかるように、おのずと果たした役割が違う。その意味で、東条英機は、中国への攻撃の責任は薄い。

 


 

 にもかかわらず、東条英機が祀られている靖国が問題だというのは、中国人はムリもないが、東条英機をヒトラーのような長期独裁者と誤認しているのかもしれない。

 


 

 グループで歩いていて、中国という村に入った時リーダーが、この村の者をなぐってやれ、と言った。その時、ほう、大変なことになったものだなあ、と思っていたものも、中にはいた。

 


 

 その後、そのリーダーは、今度はベトナムという国に行って、居座った。

 

 まわりの国々はよそ者がどこから来たんだ、おまえには、水をつかわせないぞ、と脅したが、リーダーは仲間にひきあげよ、命令しないまま、自分はさっさと引退してしまった。そのあとに、中国をいじめた時にいた青年がリーダーに選ばれたが、彼もやはり、そこからひきあげろ、と言われて、今度はげんこつでなぐられた。彼は、げんこつで殴られてだまってひきあげるのか、卑怯者、といわれるのがいやなので、相手と全力で戦えば。相手もダメージを受けて、半分ならいてもいいよ、と言ってくれるかな、と思って戦いを挑んだ。ところが、仲間は壊滅し、相手からは、お前がすべてしくんでここに来たのだろう、散々に殴られて、責められ、ついに処刑されてしまった。

 


 

処刑された男を、生き残った仲間たちは、彼が戦おうと言わなければ、被害が大きくならなかったが、元元、敵の前に彼を連れて行ったのは、彼のリーダーだったので、気の毒でもあると思って、かれを丁重に葬った。すると、中国はそれを見て、勘違いして、あの処刑された男がわれわれに被害を負わせたやつに違いない。だから、奴を弔うのは、許せない、と言った。

 


 

 葬った者たちは、いや、この男は、中国をいじめたリーダーとは違う男で、当時はなんの決定権もなかった。この男はげんこつでなぐられたから、殴り返したのは、確かだが、相手がなぐってこようと思った原因を作ったのも、中国をいじめようと決めたのも、別の男だった、と思った。