笠原和夫という有名な日本の脚本家の「祇園の暗殺者」
昭和37年
に、つぎのような場面があるという。
主人公が、ある女性と愛情を確認するが、女性は、最初はあなたを殺して自分も死ぬつもりだった、という。
主人公は、生きることが大事なんだ、といって、だから、明日もここで待っててくれ、
二人で旅だとう、という。
ところが、その後、主人公は、相手の女性の知らない場面で暗殺されてしまう。
ラストシーンは、女性おえんが、主人公を信じて待っているところで終わる。
つまり、アイリスのラストと同じなのだ。
昭和34年の日本映画だから、これをアイリスが真似たとは思わない。
ただ、劇の趣向として、愛する男が死んでいるのを知らずに無心に待っている姿は、
いやがおうにも、悲劇性を増すものだろうということは、こうした反復場面を見てもわかる。
ただなんで、アイリスがあれほど、あのラストシーンが違和感を持って受け止められてしまうか、というと、
私たちが、どこかで、シャープでスタイリッシュな現代的なドラマを求めていたのに、
ここにまさに、昭和37年に表現された感性と同じものが、
ここに表現されたからなのだと思うのだ。