『私は熊本(の知人)を心配しています。』
と言葉にしたとします。
一見、問題なさそうな言葉ですが、量子的には熊本(の知人)に対して、よくない影響を与えても、よい影響は与えません。
これは観察術講座の中でも体験していただけるのですが、
心配された側は、重い波動を体感できます。
人間が思うことは、全て、現実化の力を持ちます。
『心配な状況』をイメージすればするほど、それが現実化する可能性が高くなるのです。
遠くにいれば、物理的にどうすることもできないですし、安否確認の電話など、自分が安心したい or いい人と思われたい or 冷たい人と思われたくないだけの行為で、相手は電話どころじゃない場合だってあるわけです。
ぶっちゃけ、相手のことを思っての行為ではないです。
SNS等で、知人の安否を確認して安心したっていう投稿は、自分はいい人アピールなわけで、そこに反応してこんな記事書いちゃう自分もまだまだそこから抜け切れていないわけです(笑)
ほとんどの人は、『いい人』でいたいですし、
いい人=心配する人
という図式から行動したくなるので、あまり否定はしないのですが、同じ祈るなら、こうしましょう。
熊本(の知人)は大丈夫
熊本(の知人)は守られている
熊本(の知人)はなんとかなる
電話やメールは、相手が落ち着いた頃にしましょう♪