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KUDANZササキゲン「散文と音楽」

ササキゲンのソロプロジェクト KUDANZ(クダンズ)の日記

気がついたら今年に入ってから一度もこちらに日記をつけていなかった。

いつが最後だったかも分からない、色んな事がきっと沢山あっただろうけど、春が来たから、また開いてみた。

奥定義舎をやり始めたのが2021年の秋だったはずだから、もう4回目の春。

コロナもあって、両腕の肘の腱が切れて、音楽活動も止まって、作業もなかなか出来なくて、確かに色々あったけど、体と向き合いながら地道に進めてきた。

フルアルバム一枚作るのに5年かかる私だから、まあ仕方ない。

でも、世の中の色んな仕組みに疑問を持って、一つ一つ答えを見つけて形にしていくっていう作業は、音楽も家作りも多分同じで、売ってるドアがダサくて受け入れられない、とか、そういう自分の中の、どうにも濁せないこだわりみたいなものが自分である所以なのだから、ちゃんと向き合って形にしていくしか生きていく理由が見当たらない。

気がかりなのは、貰った恩の事と、待ってる人の事。

人と人とは、いつどんなタイミングで別れが訪れるか分からないから、会いに行ける自分にならなくちゃって思ってる。

根雪がようやく溶けて、タクシーの仕事も休んで毎日作業してる。

来月にはまた仕事に戻る予定でいるから、毎日が戦いの日々。

毎日三食自炊、眠い目をこすりならがら弁当二つこさえてる。

身体も至る所40過ぎてボロボロだから、今壊れたら先がない、もう昔みたいに無理が効かないのだと言い聞かせて、適度に休みながらやっています。

病院の湿布の処方がが毎月規定量に定められていて、あからさまに足りない。どうにかならんものか。


これまで、まぁ大変な人生だったけど、今も生きていて、大切な事がなんとなく分かっていて、今まで関わってくれた沢山の人たちへの感謝がいつも自分の心にあったかく申し訳なく燻ってる。

自分の施工はまだまだ沢山。

あとドア四枚、部屋一つ、キッチン作ったり、やる事はてんこ盛り。

プロに任せる所はお金が必要。

欲を言えば、次松さん用にピアノを2階に置きたいが、どうやって入れたらいいだろう。謎。

床も抜けるから補強が必要なんだろうな。

早くひと段落させて、世話になった人たちとBBQしたい。

解禁したのに釣りにも一度も行ってない。

みんなもきっと忙しい日々を過ごしてるはず。

この先の楽しいの為にやる事やっていきます。





作業の様子はこちらです

奥定義舎

あと、Ryu matsuyamaと共作した「絶景」という曲が本日デジタルリリースになりました

絶景

西表島を舞台にした映画、「春風夏雨」の主題歌になっています

YouTubeで観られますので、お時間ある時に是非ご覧ください



沢山の繋がりに感謝しています

ではまた

小さい頃、巷ではカードダスが流行ってて、駄菓子屋で100円玉を入れると何枚かのカードが束になって出てきて、中にキラカード(ラメ入りのキラキラしたやつ)が入っていないかワクワクして開けたのを覚えている。

我が家は裕福ではなかったから、そんなに沢山集めたりは出来なかったけど、お金持ちの子たちはいっぱい持っていた。

近所の子が遊びに来てカードで対決したりして、彼らが帰った後に気づいたら自分のキラカードが無くなっていて、あの時の感情は忘れられない。

年下の子で、家よりも裕福とは言えない家の子だったと思う。

怒りよりも、なんだか途端にその遊びに冷めてしまったのを覚えている。

失ったのは物ではなくて、それまで積み上げてきた楽しい時間だったのだと思う。

カードに本来備わっていた遊びとしての機能を付加価値が越えて、分断を生んだのだから皮肉でしかない。


この世界の物質の総量は大体決まっていて、紀元前の時代から現代に至るまで、金の価値は常に最上の位置にある。

金の値段が下がる事はほぼ無いだろうから、投資家の言葉を借りれば、握っといて間違いない、そういうものなんだろうと思う。


妻は転売サイトの運営で働いていて、仕事柄日々めまぐるしく変わるトレカや靴の値段などを毎日目にしている。

かたや隣には、ほぼほぼと言っていい程物欲を無くした私が、自然の中で生き物や菌糸の観察などをして、これはなんだ、あれはなんだと、何の金にもならぬ、誰のためにもならぬ世界を具に見つめて美しいとかキモいとか言ってるのだから、その振り幅は想像するだけでも脳がバグりそうだ。


老いも若きもワンピースだとかポケモンだとかのカードの新作が出たらそれを開き、夢を見ては日々自分や誰かが仕事に費やした時間の対価をスポイルされている。

たった一枚の紙切れが6億の値段で取り引きされるのだという。


かたや洋服で言えば、何かのブランドの名前がプリントされている服を着る、という事は、着る人はもう広告なのだ。

kudanzと書かれたスウェットを着るという事はそういうことだ。

だから物を買う時はまじで一旦超考えた方がいい。

私がめちゃくちゃダサい事で捕まったとしてもそれを着れる覚悟があるのかどうか。

刺繍だったらワンチャン安全ピンとかで綺麗さっぱり取れそうだよね。


くだらない話はさておき、世の中が非常に得体の知れない、殺伐とした空気に満ちているような感覚を覚えているのは私だけだろうか。

人嫌いが加速していて、皆怖がっているように思える。

時に見知らぬ人の優しさにさえ拒否反応を示す程の恐怖感みたいなものに人々が包まれているように見えてならない。

コロナや様々なものが分断を生んだことは間違いないだろうけど、なんとなく、今感じているのは、人が都市部に集まりすぎている事が大きいように思う。


この動画が面白かった。



いつのまにか、人類は増えすぎてしまったから、これ以上増えてはいけないような空気がいつからか世の中に流れていたけど、ほんとうのところはどうだろう。


田舎から離れ東京に何年か住んで、人の多さにすっかり疲れ果てた自分は、人口が過密になると、他者への配慮や関心が薄れていくのだということを身をもって知った。

そして、今の世間のあり方も、それまでの自分自身のあり方も、都市型の暮らしに依存しないと享受出来ない物事があまりにも多すぎて、いつのまにか何もかも欲しくなくなった。

ほんとうに、心の底からありとあらゆるものがどうでもよくなった。


電気ガス水道各種ライフラインに始まり、あたかもそれが無いと人間は生きていけないような錯覚の中で、満員電車に揺られ、リハ終わりに抱えていたギターをぶん殴られながら生きていく事が、自分の幸福と繋がるようには思えなかった。

それは後になって、別の選択肢を教えてくれた両親の愛によるものだと気づいたのだけど、それを知らない子どもたちは今も彷徨ってる。


何かに依存して生きるのは嫌だったから、それからの人生は、自分の国を作る事に費やそうと思った。


山奥に古い家を買い、伸び放題の庭の木を何本も自作の抜根機でバンドメンバーと抜いたりして、柱以外を全部壊して、家を作ってる。

途中で両腕の腱が切れて、作業も音楽活動も中断して、何やってんのかなと思ったりもしたけど、国を作るんだからそのくらいは仕方ない。

50歳くらいを目標に、電気ガス水道を全部自分で賄える、自宅兼スタジオ、サウナや民泊もそのうち形になったらやってやろう、馬鹿みたいなエネルギーが湧いてきて、今を生きてる。


人生自家発電、他人の夢に承認欲求のガソリンぶっかけてくるような馬鹿な奴らの話は聞き飽きたから、変なのが寄ってきたらマッチ持って追いかけてやれば大抵逃げる。

こっちは勝手にやるからそっちも勝手にやってくれ。


なんで時間をかけようとしない。

なんで簡単に手にしようとする。

自分がやりたい事、その全部を自分の目で見たくないかい?


世の中なんていつのまにか勝手に意見が変わってて、はなからそうだったみたいな面してうまく取り繕ってるだけ。

そんなのに時間割いてるの無駄すぎる。


20代で吐いた言葉、借金みたいに今も胸にあって、返す為に毎日生きてる。

くそダサい理想まみれの若気の至り、でもあの気持ちはやっぱり間違ってなかったと思いたい、それだけの為に毎日へろへろになって生きてる。

世話になった人に喜んで欲しいのもあるけど、間違ってなかったって思いたいだけだと思う。

言葉は借金みたいなもの。前借りできる。

前借りする奴は大体どっかで飛ぶ。

何が言いたかったか思い出してる。


そう、古民家買って他人の捨てられなかった物捨てまくった。

直してでも使い続けたい物以外、物に価値はない。

大切な手紙、それを書いた人の時間、それを燃やしてる知らん人が私。なんなんだこれは。

大切に思い合える人との時間、この一生の中で限られた線が繋がる一瞬の点、なるべく線にしたいから、金はそこに使う。

どうせなら融点まで熱い濃密な時間。


美しい時間。美しい音楽。景色。食事。あと睡眠。

シャットダウン。


一月、右肘の手術を終えて、病院のベッドの上で、この先何をして生きていこうか考えていた。

ひとつ考えていたのは、生きている間に一度社会人というものを経験しておくべきだろうという事。

何かに属すという事が、自分にどういう気づきを与えるか、それが知りたかったのと、私自身が、これまで音楽を聴いてくれた皆と同じ立場で、物事を考え、取捨選択する事が必要なのではないかと思ったからだ。


あんまり腕を使わずに出来る仕事、考える程に選択肢は限られたが、車の運転を仕事にするのはどうかと考えた。

決まった時間に朝起きて、電車に揺られ、同じ人たちと箱の中で関係を築き仕事をする。アフターは街中で同僚と酒を飲んでほうぼうのていで帰る、そういうのは多分、自分の性格上耐えられないだろうと思った。

なんらかの先天性のものなのか、昔から人の名前もなかなか覚えられないから(表情や心にある雰囲気は覚えられる)、一期一会な世界に居場所がないか考えてみた。

そこでふと、夜のタクシー運転手はどうだろうと考えた。

パーソナルなスペースの中で、目の前のお客様と対峙する。

それなら自分にも出来るかもしれない。

退院してギブスが外れて、固定する器具で運転出来る事が分かった頃にはすぐに近所のタクシー会社へ面接に行き、採用通知と共に二種免許を取った。

1ヶ月半程の研修期間を経て、三月末には路上に出た。

緊張で手足はいつもびちょびちょ、偏頭痛、背中のコリが爆発、持病が悪化して食べ物を口にするとお腹が暴れて、2ヶ月間は腹痛と水便が続いて、4キロ体重が減った。

心の拠り所だった酒もやめ、サラダと卵と少量の蕎麦のエンドレスループ。

人間は、食べ過ぎているのだと気づいた。


3ヶ月くらい経って初めての連休、夜勤終わりに寝ないでそのまま妻と山に今年初めてのキャンプに行った。

お互いに睡眠もままならないまま、車止めから30分以上も歩いて釣り場まで。

不思議と辛くはなくて、これまでと違ったのは、自分が釣りたいというよりは、妻が釣っている所を見たくて、美しい山の中を一緒に歩いた。

久しぶりの岩魚の、それぞれの愛らしい顔、形容し難いパーマークの美しさに感動した。

そしてその命を貰い、八時間以上ずっと火のそばで角度を変えたり、薪木を調整しながら焼いて、食った。

その晩は、久しぶりの酒と共に、漬けておいた猪の塊肉を焼いてレタスで包んだものと、岩魚の焼き枯らし。その二品だけだったが、二人共それ以上は何も要らなかった。

文明や生活を少しの間だけ、よそに置いて、電波の入らない場所で二人、遅くまで話し込んだ。

我々夫婦は既に籍も入ってないから、性別も何もかもどこかに一旦しまって、ただの魂と肉の塊になって、お互いの暮らしの事や、この先の事を話した。

山奥の火の前でただ思った事を話す。

これをなぜだかチューニングと呼んでいる。

今回は無かったが、熱く言い合いをする事もある。

社会に合わせる事は大事だけど、社会に合わせていくと個人主義に向かっていく。

人間は一人で居た方が断然楽だと思う。

だからこそ、いつも居る場所から少し離れて、他者の干渉の無い場所で、いつも居る場所の話をすると、いつもより互いの立場になって物事を捉える事が出来るような気がする。

誰かと共に生きる事は、修行のようなものだと思う。

当たり前ではなくて、理由がそこにあって欲しくて、一人では見つけられないから、一緒に探すしかないのだ。

他者と繋がっているという安らぎはどうしたら得られるのか、きっと私たちだけではなく、皆が探してるのだと思う。


夢も見ずに、壊れた様に数時間眠って、朝日と共に勝手に身体が目を覚まして、火を作り直して昨晩の残りで朝食を作って食べる。

不思議と数ヶ月暴れていたお腹は静かにそれを受け入れたし、頭痛もない。

なんだか身体と脳みそが軽くて、朝ってこんなに清々しいものだったのだと感動した。


その後、美しい、みんなに見せたいような綺麗なうんこが出ました。

待ってました。涙が出るよ。ありがとう、うんこ。

さすがに写真は撮りませんでした。


テン場を片付けて、また生活へ戻る。

それからは毎日身体が日の光を欲しているのがよく分かる。

まだ夜勤との付き合い方は手探りだけど、タクシーの醍醐味は夜勤にある気がしていて、毎日ヒリヒリしながら、めまぐるしく変わる人間ドラマを見つめて、今まで当たり前に吐いてきた言葉を飲み込み、聞く、引き出すを学んでいる。

みんながどんな気持ちで会場に足を運んでくれていたかを、分からないまま続けるべきではなかったから、訪れるべくして訪れたこの時間を、一生懸命生きたいと思う。

日々書き残す言葉や音はあるけれど、まだ届けるレベルには至っていない様に思う。

最後の一押しは、独りよがりの力である様にも感じる。

心と身体が一つになった時に、手渡したい何かが帰ってくる事を、今までの経験で知っている。

自分にとって、両立出来るほど、妥協出来るほど簡単な世界ではない。

あの時間は、自分にとっては神事の様な時間だから。

指の一本一本、言葉のひとつひとつに音がちゃんとついてくるまで、淡々と続けて、何よりも日々を楽しく、元気でいるよ。

みんなもどうか元気でいてね。