元気でいるよ | KUDANZササキゲン「散文と音楽」

KUDANZササキゲン「散文と音楽」

ササキゲンのソロプロジェクト KUDANZ(クダンズ)の日記

一月、右肘の手術を終えて、病院のベッドの上で、この先何をして生きていこうか考えていた。

ひとつ考えていたのは、生きている間に一度社会人というものを経験しておくべきだろうという事。

何かに属すという事が、自分にどういう気づきを与えるか、それが知りたかったのと、私自身が、これまで音楽を聴いてくれた皆と同じ立場で、物事を考え、取捨選択する事が必要なのではないかと思ったからだ。


あんまり腕を使わずに出来る仕事、考える程に選択肢は限られたが、車の運転を仕事にするのはどうかと考えた。

決まった時間に朝起きて、電車に揺られ、同じ人たちと箱の中で関係を築き仕事をする。アフターは街中で同僚と酒を飲んでほうぼうのていで帰る、そういうのは多分、自分の性格上耐えられないだろうと思った。

なんらかの先天性のものなのか、昔から人の名前もなかなか覚えられないから(表情や心にある雰囲気は覚えられる)、一期一会な世界に居場所がないか考えてみた。

そこでふと、夜のタクシー運転手はどうだろうと考えた。

パーソナルなスペースの中で、目の前のお客様と対峙する。

それなら自分にも出来るかもしれない。

退院してギブスが外れて、固定する器具で運転出来る事が分かった頃にはすぐに近所のタクシー会社へ面接に行き、採用通知と共に二種免許を取った。

1ヶ月半程の研修期間を経て、三月末には路上に出た。

緊張で手足はいつもびちょびちょ、偏頭痛、背中のコリが爆発、持病が悪化して食べ物を口にするとお腹が暴れて、2ヶ月間は腹痛と水便が続いて、4キロ体重が減った。

心の拠り所だった酒もやめ、サラダと卵と少量の蕎麦のエンドレスループ。

人間は、食べ過ぎているのだと気づいた。


3ヶ月くらい経って初めての連休、夜勤終わりに寝ないでそのまま妻と山に今年初めてのキャンプに行った。

お互いに睡眠もままならないまま、車止めから30分以上も歩いて釣り場まで。

不思議と辛くはなくて、これまでと違ったのは、自分が釣りたいというよりは、妻が釣っている所を見たくて、美しい山の中を一緒に歩いた。

久しぶりの岩魚の、それぞれの愛らしい顔、形容し難いパーマークの美しさに感動した。

そしてその命を貰い、八時間以上ずっと火のそばで角度を変えたり、薪木を調整しながら焼いて、食った。

その晩は、久しぶりの酒と共に、漬けておいた猪の塊肉を焼いてレタスで包んだものと、岩魚の焼き枯らし。その二品だけだったが、二人共それ以上は何も要らなかった。

文明や生活を少しの間だけ、よそに置いて、電波の入らない場所で二人、遅くまで話し込んだ。

我々夫婦は既に籍も入ってないから、性別も何もかもどこかに一旦しまって、ただの魂と肉の塊になって、お互いの暮らしの事や、この先の事を話した。

山奥の火の前でただ思った事を話す。

これをなぜだかチューニングと呼んでいる。

今回は無かったが、熱く言い合いをする事もある。

社会に合わせる事は大事だけど、社会に合わせていくと個人主義に向かっていく。

人間は一人で居た方が断然楽だと思う。

だからこそ、いつも居る場所から少し離れて、他者の干渉の無い場所で、いつも居る場所の話をすると、いつもより互いの立場になって物事を捉える事が出来るような気がする。

誰かと共に生きる事は、修行のようなものだと思う。

当たり前ではなくて、理由がそこにあって欲しくて、一人では見つけられないから、一緒に探すしかないのだ。

他者と繋がっているという安らぎはどうしたら得られるのか、きっと私たちだけではなく、皆が探してるのだと思う。


夢も見ずに、壊れた様に数時間眠って、朝日と共に勝手に身体が目を覚まして、火を作り直して昨晩の残りで朝食を作って食べる。

不思議と数ヶ月暴れていたお腹は静かにそれを受け入れたし、頭痛もない。

なんだか身体と脳みそが軽くて、朝ってこんなに清々しいものだったのだと感動した。


その後、美しい、みんなに見せたいような綺麗なうんこが出ました。

待ってました。涙が出るよ。ありがとう、うんこ。

さすがに写真は撮りませんでした。


テン場を片付けて、また生活へ戻る。

それからは毎日身体が日の光を欲しているのがよく分かる。

まだ夜勤との付き合い方は手探りだけど、タクシーの醍醐味は夜勤にある気がしていて、毎日ヒリヒリしながら、めまぐるしく変わる人間ドラマを見つめて、今まで当たり前に吐いてきた言葉を飲み込み、聞く、引き出すを学んでいる。

みんながどんな気持ちで会場に足を運んでくれていたかを、分からないまま続けるべきではなかったから、訪れるべくして訪れたこの時間を、一生懸命生きたいと思う。

日々書き残す言葉や音はあるけれど、まだ届けるレベルには至っていない様に思う。

最後の一押しは、独りよがりの力である様にも感じる。

心と身体が一つになった時に、手渡したい何かが帰ってくる事を、今までの経験で知っている。

自分にとって、両立出来るほど、妥協出来るほど簡単な世界ではない。

あの時間は、自分にとっては神事の様な時間だから。

指の一本一本、言葉のひとつひとつに音がちゃんとついてくるまで、淡々と続けて、何よりも日々を楽しく、元気でいるよ。

みんなもどうか元気でいてね。