どしゃ降りの先に→

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☆ミようこそ☆ミ
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数日前にニュースになったコンビニの動画
また、そういった内容に対して、コンビニ店員さんに対しての心無い記事等を目にして残念な気持ちです

人はそれぞれの考え方があるのは事実

それでも、何か簡単に書いて簡単に投稿

それがブログの魅力なのかもしれませんが、無論の事で口から発するものではない為、今一度確りと自身の書いた内容に誤りや逸脱した内容を書いていないか読み返せるはずです

とあるブログの記事を読んで、今回更に感じさせられました

ただ、『軽率でした』とか何かしら指摘された際に返す言葉
軽率な行動をする前に投稿する際、止めるべきかとも感じます
私は嫁が好きです(キッパリ)

朝から何を言ってんだ?
なんて感じではありますし、んな内容見ても何も楽しくないやんって思われるかもしれません

いや、大抵は思われるでしょうね(汗)

ただ、結婚して14年が過ぎ私も嫁も、ある程度の歳になってきました

それでも、尚にやはり嫁への気持ちも変わらず、ここまで辿り着けたのは自身の忍耐力…いえ、嫁のお陰なんだなと改めて感じます

私自身が転職の際にも後押ししてくれたり、現実的には家計が厳しかったでしょうが、私かわ選んだ道なのだからと付いてきてくれて、ある時は頚椎を患った際には献身的にしてくれたり…

感謝してもしきれない程です

だからこそ『好き』という訳でもありません

そういった事が無くとも、何かしら日々の生活において癒してくれます

勿論、衝突だってあります

そりゃ、全く血縁関係でもないのですから
まあ、そりゃそうだろって話ですが、血縁関係であっても喧嘩はあります
同じ空間に生活していれば、自ずと価値観の違いから引き起こすものですし、そういうのはあって当然だと思います

なので、喧嘩はしますが仲直りも早いです
当然、うやむやにはしません
お互いがお互いに、先ずは相手の価値観に近づいてみて話をしあう事…これを一番念頭に置いて話をします

だって、結局は話し合うってなっても、自身の価値観だけで物差し使えば、その議論は交わるところを見せませんからね

相手の価値観を持ってみる事で、相手の痛みも少しは理解出来るばかりか、冷静になれる事だってあります
無論、その価値観を垣間見て文句を言い合う訳ではありません

よくお互いに言うのは、本当に相手の事が好きならば、お互いに向かい合っての姿勢を絶対崩さない事
後は、喧嘩は別に構わないが、喧嘩していてもお互いに何か楽しい事をしていても時間は同じだけ経ってしまう事の理解

なるべく有益で、お互いに思い合える流れを最初に持つ事を重要視しています

だからと言って、気を使うって事でもありません

正直、私自身は適当です
言葉的には良く聞こえたりもしますが、別に何でも良いやって考え方を頻繁に持つ人間です

嫁も同じく適当です

けど、拘り過ぎの先にあるのが自身の価値観

こうも考えます

追求する事で、気が付いた頃には価値観が前面に出ていたりして、その時は既に相手の価値観云々よりも、完全に自身の物差しだけが出ていたり…なんてなっちゃいます

そんな物差しは要らないやって思います

適当かもしれない

けど、本当はその適当ってのが一番難しかったのかなって思う事もあります
何処かしら、適当にしようって思っていても、拘りが出てきてしまったりして衝突を招く事もありますしね

まあ、アレコレ述べるよりも、本当に大切なのは相手の事が好き

これに尽きるのかもしれませんね
仕事の流れや、仕事の進め方などについては、会社独自の決まり事や手順があります

もっとも、全てがルール化されたものばかりではありません

無いからと言って必ず上手く仕事が流れないとも限りませんが、それ以前に上司や経営陣がどれだけ五月蝿いかでも決まってきます

仕事をする上で、良くも悪くも自身の思い通りに仕事を行える事

これは、多くの人が望む部分でもあるかもしれません

しかし、当然ですが全てを自身の思い通りに出来るものではありませんよね
上司や経営陣からの方向性であったり、日常業務における中で叱責やらと指摘が必ずあるもので、そう簡単には思い通りとはいくものでもありません

ただ、目を光らせる上司や経営陣が皆無に等しければ…どうでしょう?

業務をする者にとっては、目の上のたんこぶは一切なく、それこそ自分の好きな様に業務を行う傾向ばかりになるでしょう
全ての人がそうなるとは限りませんが、結局は悪い意味で楽が出来る様に考えていくのが人
無論、それに対して異論が無ければその者にとっては、『この作業は、こうするのが当たり前だ』『仕事の進め方は、こうでなければ大変だ』『業務の詰め込みは残業も増え、身体に負担もあるから社外へ出そう』

列挙すればする程に何やら単に自分の楽に出来る方向性が目立ちます

勿論、本当の意味で業務がスムーズに展開される為に考える者も居ます

また、それが非日常的な部分であっても、その非日常的な部分が連続してしまえば自ずとそれが日常的なんて事にもなり、やがて『当たり前』主義に生まれ変わっていきます

そうやって根深く築き上げられてしまったものは、なかなか変われるものでもなく、寧ろその際に何かしら今までとは異なった方向性を示唆された時には、その内容に対して反発、若しくは実行したとしても三日坊主の様に終わっていきます

ここまでの流れで、上司や経営陣の日常的な動きの問題もありますが、無論の事ではありますが業務に携わる者にも問題はあります

上司や経営陣に対しては、普段から日常業務において指摘しない事や、尺度は難しいてすが五月蝿く言う事の無さ
業務を携わる者に対しては、叱責等が無いからと言って甘えで業務を進めている事

こう書いてしまうと、どちらもどちらであり『卵が先か鶏が先か』なんて議論にもなります

要は、上司や経営陣にとっては『言わなくても確りと遂行するのが社会人』
業務を携わる者は『こうするのが当たり前』『言わないから、自分なりで上手く進めようとしているだけ』

平行線ですよね

但し、私的に思う部分としては『企業がどうであれ、社会人としての自身がどう行動を取るべきか』を常に問い続けています
何かしらにおいて人のせいにする、それを企業のせいにする、そういったのではなく甘えといった部分を全て無くしていき、企業が成長を遂げられる様に考える

これのみです

その中に、甘え等があれば『楽をしよう』『他も楽をしている』『もう既に自身は頑張っている』等など、結果的には自身を守る行動のみが目立ちます

この状況を改善出来るかは、企業だけではなく、業務に携わる者も同等に関わってきます

仕事だけでは無く、日常的にも同じ事が言えます

仕事上において、『この作業は、こうするのが当たり前だから…』等の言葉を耳にするシーンがあります

まあ、実際のところ『当たり前』と言っても、かなり現実的には説得力が無い言葉にもなります

単純に言えば…

皆がやっているから『当たり前』
ずっとこの方法で進めているから『当たり前』
普通に考えたら『当たり前』

この言葉を聞いても、余りピンと来るものがありません

つまり、何となくその物事をその方法で進めている

それにしか過ぎず、本当にそれが間違っておらず、またその物事の進め方がベストなのかは断言出来ないものとなります

一見して皆がやっているからという事に対しても、あたかも客観性のある様な言葉にもなりますが、下手をすれば『赤信号、皆で渡れば怖くない』と言っている様なもの

つまり、何かにつけて『当たり前』と称して終わらせる事の問題意識を持てるか否かでしょうか

特に人に対して何かしら回答する際に、『それは当たり前ですよ』と答えるのではなく、本当にその事が確りとした順序を経て妥当性があるかを検討しなければと思います

難しそうな感じにも思えますが、『当たり前』という言葉で簡単に済ませない意識を持つ事で、周囲にとっても理解が進むものではないでしょうか

例えば、部署の異なる人が『この作業は、こうするのが当たり前ですよ』なんて言われても、その人にとって何で当たり前なのかは全く伝わりません
ただ、言っている人にとっては、それは当然でしょうなんて感覚がそこにはあります
若しくは、知っていて当然だと感じたり、知ってもらっていて当然

結局、伝わりません

要するに説明が足りないのではなくて、説明が殆ど出来ていない訳です

また、それがその人にとって『当たり前』と決めつけてしまった場合、一番大切なのはその物事について今後変化は無い事になります
誰しもそうですが、やっている事、考えている事が『◯◯だから当たり前』なんて思ってしまえば、その事について見直しや改善は無くなってしまうからです

先ずは、その当たり前という言葉を単純な単語だけにはせず、周囲が理解出来る内容の説明になる為にはどうアピールするのか?

そこから始まりではないでしょうか

物事において、どんな事でもそうですが、実行する前から諦めてしまう事

決して少なくはありません

自身でもそうです(汗)

以前、個人的にはアニメで偶然にも、こういうフレーズを耳にしました(アニメ自体は、シリアスでもなくほのぼの系でしたが)

『諦めるなら、やるだけやって諦める』

何となく、ただ聞いた分にはどっちにしても諦めるんなら、最初っから諦めてればって雰囲気にもなりますが…

ただ、何かにつけて諦める事を最初っから選択していて、気が付けば諦める理由を考えている事

実際、ありますよね

そういう時って、まあ当然ですが何とかしようって気持ちはありません

勿論、やるからには達成や遂行出来るように、キチンと計画も必要なのは言うまでもありません

けど、可能性の低い事に逃げるのじゃなく、どうせダメならダメでも悔やまない様に全力で

それでもダメなら、その時の場面は諦める

これが大切かなと感じます

スポーツでも何でもそうですが、優勝なんて出来ない
だから、最初っから諦めて挑む事なんて無いと思います
全力でやって、行けるところまで行って、それでダメな時はダメ

でも、そこまで挑んだ内容は無駄では無いのは事実です

私的には、この『諦めるなら、やるだけやって諦める』

好きです