さて今回は、黒島のディープな観光案内、「黒島の戦跡」についての特集です^ ^
黒島では大正時代から太平洋戦争までの戦跡が残っている場所がありまして、古里(ふるさと)地区、田代(たしろ)地区では今でもその跡を見ることができます^_^
さて、さかのぼること今から約100年ほど前。1914年、大正3年のお話です。
当時から佐世保港は重要な軍港でした。
しかしこの年、世界で第一次世界大戦が勃発したため佐世保港を守る準備が必要になりました。
そのため佐世保から比較的近い黒島でも、様々な軍事施設が造られることが決まりました。
主なものとして田代地区には南砲台、古里地区には東砲台という砲台が設置されました。そしてその砲台を中心に、周囲にいくつかの軍事施設が建造されたそうです_φ(・_・
それらの施設は大正時代に建造されましたが、そのほとんどはその後の太平洋戦争まで実に約30年もの間、軍により利用され続けました(°_°)!
興味深いことに、砲台が撤去されたあとの一部の建物は戦後になり島の人々に払い下げられて、つい最近までそのまま島の方々が使われていたということです(o_o)!
まず、古里地区にあるこちらのレンガ造りの建物から紹介しましょう^ ^!
この建物は発電所跡です^_^
大正時代につくられましたが、戦後は島の人々の共同倉庫として使われていたそうです。
今では島の猫たちの昼寝スポットになっているようで、写真を撮ると猫がわずらわしそうに騒いでいました…(^-^;)
次は同じく古里にあるレンガ造りの建物。
さながらファンタジー小説にでも出てきそうな雰囲気の建物ですが、こちらの建物の正式名称は“探照灯格納庫”跡。 探照灯とは簡単に言うと、敵の船を探す巨大なライトです(◎_◎) 発電所と同じ頃に造られたようですが、今は使われてないようで、そのときから時間が切り取られたかのような光景でした^_^
一方こちらは田代地区に残る、発電所の跡です。
ここも古里と同じ頃に造られましたが、かつては黒島の方が倉庫として利用されていたとか^ ^
古里の発電所跡に比べると屋根が壊れてしまっていますが、かなり冒険心をくすぐるようなミステリアスな雰囲気があります^_^
さて、次の写真は少し時代が変わります。
古里地区の東砲台跡とは別にある、太平洋戦争末期の1945年に本土決戦に向けて建造された「名切砲台」の跡です。
こちらはレンガではなく、コンクリート製ですので少し物々しい重厚感があります^ ^
敵を小佐々の部隊と挟み撃ちにするために造られたため、砲台は本土側を向いているのが特徴的です(・ ・;)
今では中は空洞で、コウモリたちが新しい家主になっているんだとか^_^;
さて、いかがでしたでしょうか。
いずれの砲台や建造物も、戦争中に実際に攻撃を行ったことも攻撃されたこともなかったそうですが、やはり近くにいくと独特の空気を感じます^^;
しかし通常の観光ルートでは見られないこれらの建物は、違う形で黒島の歴史を伝えてくれているのではないでしょうか^_^
ちなみに余談ですが、最近ではいわゆる“廃墟マニア”と呼ばれる方々も黒島を訪れて下さっているようです。 もしかするとそういった方々には黒島の戦跡は最高の光景なのかもしれませんね…(^_^;)
もしかしたら専用のマップも作る…かもしれません(^◇^)
以上、今回は黒島のディープな観光案内でした^_^!