歴史に戻れば、彼らの各国に於ける拠点は「ロッジ」として、まず上陸した。
日本には幕末の1863年に設立された長崎のグラバー邸等がこれに相当する。
その上陸以降、彼らの日本に於ける金儲けの狙いは明確だった。
それは近代化という美名の下、それまでの体制と対立する新勢力を作り、やがて戦わせ、そこから 漁夫の利を得るというものであり、
これはロスチャイルド・ファミリーを主体とする世界金融支配体制の得意とする方法だった。
元首である天皇と行政府の長である将軍が、情報伝達で数日もかかる当時、京都と江戸に分かれて住んでいたことも、彼らの工作を容易にした。
これは仮定の話だが、例えば新勢力が錦の御旗の御輿(みこし)とする新しい天皇として、彼らの息のかかった人物を担ぎ上げたとしても、江戸幕府の人間には区別がつかなかったと思う。
さてここで思い出して欲しいのは、三河の菟足神社等でも、五穀豊穣と民の繁栄を祈る「神事」が、2000年以上も同じ境内で続けられているという事実である。
イヤシロチという言葉をご存じだろうか?
パワースポットとも呼ばれ、最近何かと話題なこのイヤシロチは、波動がとても高く、人間が癒される場所のことだ。
その対語はケガレチである。
日本では古くからこのイヤシロチに神社が建てらわているからこそ、神事も効果があるのだと 言われる。
そしてこの事実は、「場の波動」の大切さを教えてくれる。
だとすると、天皇による「日本民族すべての安泰を祈る神事」は、然るべき意義のある場所と伝統方式で行なわれてこそ、その霊的意義が出て来るものと思われる。
ところが戊辰戦争で上京されて以来、天皇は行政府だった江戸城を住居とされる。
伝統的る神事が三代途絶えると日本民族は滅びるという言い伝えを、私はかつて聞いたことがある。少なくとも大和王朝成立以降、約1400年続いたと思われる京都での日々の神事が一体どうなっているのか、
心配である。
※日本屈指いや世界屈指と言ってもいいほどの霊能者である出口王仁三郎も次のように語っています。
「日本から天皇制がなくなり、天皇がいない日本になるようなことになれぱ、日本は必ず滅びることとなる」
と。
ふしぎのメダイより