戦争こそがアメリカの公共事業(1) | ふしぎのメダイ

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 20世紀末の段階で、アメリカ軍は地上を複雑なコースで動き回る物体を追尾しながら、軍事衛星からプラズマを撃ち込む技術を完成させている。21世紀はその精度をさらに高める段階に入ったが、それにより特定の人物だけを宇宙から撃ち殺すことも可能となった。ターゲットが地下シェルターに逃げても、プラズマの透過によって超高熱弾を撃ち込めるため、21世紀に安全な所など、どこにも存在しない。アメリカ軍が20世紀末にそれだけの技術をもっていたら、1991年の「湾岸戦争」の際、地下シェルターに隠れたサダム・フセインを殺せた筈という反論が出てくるだろう。しかし、それにアメリカの軍産複合体の構造を理解すれば疑問ではなくなる。

 アメリカは、イラクを叩きつぶす気など当初からなく、クウェートを肋ける気持もなかった。アメリカにとって湾岸戦争とは、世界の油田地帯を制する意味で、当時の中東にアメリカの軍事的影響力を高める戦略に過ぎなかった。事実、クウェートは昔から民主国家ではなく、王室による独裁国家体制はフセインの死後も続き、貧富の差は広がる一方だった。当時からフセインのような男は、2011年に殺害されたリビアのカダフィ大佐と同じく、軍産複合体が莫大な利益を得るための必要悪で、そこが石油を待っていればアメリカの石油メジャーにとって略奪をほしいままにできる宝庫となる。アメリカに対して度が過ぎたり、役に立たなくなれば賞味期限切れで殺すことになる。それだけのことだ。

     (続く)