江戸の奇想工学者・平賀源内 (1) | ふしぎのメダイ

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 諸芸百般に通暁して時代を走り抜けた天才の軌跡

 鎖国体制下の江戸で、常に世界に目を向け、奔放に己れの人生を歩んだ一代の奇人・平賀源内。その登場はあまりにも時代に先駆いすぎていた。

 天才か山師か?

 西洋を見据えた発明品の数々。

 Гああ非常の人、非常の事を好み、行もこれ非常、何ぞ非常に死するや。」(杉田玄白)

 非常とは、ひととおりでなく甚(はなただ)しいさまをいう。平賀源内の親友、杉田玄白が彼の墓礁に刻んだこの文句は、なぜかすぐに削り取られてしまった。その非常の人=平賀源内は、あるときは「風来山人」とも名のった。疾風(はやて)のようにやってきて、その通り過ぎるいたるところに嵐を巻き起こし、疾風のように去っていく鬼才という意味であり、事実そのとおりであった。またあるときは「天竺浪人」Г福内鬼外」また「桑津貧楽」「貧家銭内」などとも名のった。そうして当時の人は彼を「絶倫の奇才」と評してもてはやしたり、けなしたりした。一方、自分自身では、「古今の大山師」を称したという。

      (続く)