ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜 -7ページ目

ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜

「ワクチン」とは、支配、搾取、詐欺、依存、保身の象徴。
「松の葉」とは、愛、癒し、自由、喜び、信頼、希望の象徴。
今までのエゴ的な価値観を全てひっくり返し、この5次元の地球をいかに生きるかを、今起きていることから考えたい。

 

 

 

自分の中のネガティブなものと、

 

人の中のネガティブなものは、

 

同じエゴから発した、同じものであり、

 

自分の中を見るのも、人の心の中を見るのも、

 

同じものを見ていることが分かると、

 

そこで人のことが見えて、話は変わってきます。

 

 

自分の中のエゴが分かってしまった者からすれば、

 

人が何かをやり出して、そこで閉じている場合、

 

それが、自分のことしか考えず、

 

自分さえ良ければいいというエゴに止まっているということが、

 

見えてきてしまいます。

 

 

 

そこで人が悩んでいても、同じ事です。

 

ますますはっきりと見えてきます。

 

 

人が悩んでいて苦しいというとき、

 

そのことの底には、暗い思い、つまりエゴが、潜んでいます。

 

 

なぜなら悩むということは、

 

自分だけは良くなりたい、それははずすことができない、

 

というエゴから来る事、

 

エゴが己の存在の活路を求めて、悩むということだからです。

 

 

(すでに、何度か、記しました)

 

 

エゴが、自分を何とか良くしたいともがく事が、

 

悩むということでした。

 

 

そこでの叫び、呻きが、

 

苦しいという感情となって、

 

現れてきたのでした。

 

 

 

これは私が、おのれのエゴから抜け出せたことで、

 

人よりも自分をいつも先にしてしまうという、

 

闇の想念、情動というものに、

 

気がついてしまって、

 

はじめて分かったことでした。

 

 

人が当たり前にしている、自分のエゴ、

 

自分の「我がまま」とは、

 

(しかも自分ではそれが「エゴ」だとあまり自覚していない)、

 

人の行き先を阻むもの、

 

しかも自縄自縛の形で阻むものだったのですね。

 

 

ここに気がついて、ここから抜け出すということは、

 

エゴによる抵抗があるので、苦しいことなのですね。

 

 

 

 

その悩みに対して、私は無視を決め込むことはできません。

 

 

悩みがエゴの働きであることが分かったればこそ、

 

だったらそのエゴをやめましょう、

 

そしたら、悩みは消え去りますよ、

 

ということができます。

 

 

エゴが間違った働きをして、間違ったサインを発してしまった。

 

だったらそれは取り除けるのだから、取り除きましょう。

 

だってそこに病巣があるのだから。

 

その病巣は要らなかったのだから。

 

あなたの悩みは、

 

あなたを内側から縛って支配している、エゴの悩みなんですよ。

 

 

 

それをかかえてしまって、悩みから抜けられないなんて、

 

残念なことであるし、愚かだ、とも言えるし、

 

 

そんな迷いに自分から落ち込む必要も、理由もないんです。

 

 

自分が少しでも得をしたいから、もったいないから、

 

いい思いをしたい、と思っていませんか?

 

 

人から、世界から、

 

もっと奪えれば、もっと吸い尽くせればいいなんて、

 

当然でしょうって言って。

 

 

これで人は自分から迷い、悩みに飛び込むのですね。

 

 

そして世界は、自分だけが得したい者たちばかりが集まる、

 

争いの場になってしまっています。

 

 

エゴが、悩みと、怒りと、人への攻撃を発するもとである。

 

エゴが、争いの元となる。

 

 

その争いが、私の心には、映ってきてしまいます。

 

 

必要のないことで、なんで人間は、

 

苦しみ合わなければならないのか?

 

 

エゴが苦悩を発するから、

 

そのエゴが、世界の暗さの元となっている。

 

 

マイナスの場所なんて、必要だったのか?

 

暗くなるなら、そんなものは要らない。それだけではないか!

 

ネガティブを、内側から発するのなら、

 

それは洗い浄めたほうがいい。

 

 

世界に対して、人に対して、

 

そんな関わりをするくらいなら、しないほうがいい。

 

 

そう感じます。

 

 

世界を暗くしてしまうものがあるなら、

 

それは掃き清めよ。

 

自分の心の中で、掃き清めよ。

 

 

そう思います。

 

 

ネガティブなゴミが、自他つながった心の中から、

 

湧き出して、私には見えてきてしまうのです。

 

 

もう要らないって、思っているのに!

 

 

だから、ゴミはおしまいです。

 

だから、エゴはおしまいです。

 

 

何一ついいものが生まれ出ないなら、

 

摘出してしまいたいです。

 

(ガン細胞みたい)

 

 

そして人が自分で取る事ができないなら、

 

私が代わりに、

 

自分の中に映ったそのエゴが、取り除かれた、軽い世界を、

 

その人の代わりに感じて、

 

生きてみせればいいと思っています。

 

 

そしたら、きっとその分、きれいになると思います。

 

 

それで世界は少しでも、ましになるでしょうか?

 

 

私の心とその人の心がつながったのなら、

 

その時きれいになってきます。

 

なぜなら、同じエゴを抱えた、同じ人間であることが、

 

わかるからです。

 

 

 

要らないもの、汚い、醜いものは、

 

私には見えていて、

 

そこに対しての行動を取ることができますが、

 

相手の中のエゴは、もっと悩んで、

 

悩むことに自分の存在を確認していたいので、

 

きっと意地になって猛反発するかもしれません。

 

 

でも、その必要がないと、

 

相手の中の本心(神)が、気がついたときに、初めて、

 

エゴはおしまいを遂げると思います。

 

 

エゴは宙に消えていくのです。

 

蒸発していくのです。

 

虚妄であることが顕わになったので。

 

相手の中の気づき、目覚めという神の働きによって。

 

 

それは私の中の神が、相手の中の神とつながっていて、

 

ひとつだとわかった、ということです。

 

 

だからエゴは私に映ったけれども、

 

そのエゴを取り除くのは本人です。

 

本人の中の神でしたね。

 

 

私はあくまで、その人に寄り添っているだけです。

 

 

そして相手の悩みに対して、

 

そうじゃないんだよ。そうじゃない世界があるんだよ。

 

誰もがこの世界の住人でいられるんだよ、と言います。

 

 

私はそれを喜びをもって言えるのです! 

 

だって人と人は、

 

心の中の神によって、つながっていることへの確信があり、

 

だからこそ、「悩むのは違うんだよ」

 

と関わることが、できるのですから。

 

 

 

だから私は、(私と同じ)エゴで悩む人に対して、

 

悩みを超えた、軽い世界を伝える人になりましょう。

 

 

そして軽い世界で通じ合えるように、

 

その人にあくまで伴走しましょう。

 

 

そのように愛を注ぎましょう。

 

 

できる限り、その人の助っ人となりましょう。

 

 

そしてその人と、軽いところで出会える人になりましょう。

 

 

ただこうすることによってだけ、

 

自分の中のエゴも、目に映った外のエゴも、

 

払っていくことができると思います。

 

 

それは、エゴが起こす猛反発やあがきを、理解した上でです。

 

 

私は、世界中にある、内側のエゴを取り除いて、

 

消し去っていくための、助っ人になりましょう。

 

 

 

 

(寄り添い合う二人?)