ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜 -25ページ目

ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜

「ワクチン」とは、支配、搾取、詐欺、依存、保身の象徴。
「松の葉」とは、愛、癒し、自由、喜び、信頼、希望の象徴。
今までのエゴ的な価値観を全てひっくり返し、この5次元の地球をいかに生きるかを、今起きていることから考えたい。

 

愛でエゴの根っこを抱き取ることができるのですから、

 

私はいま、

 

向こう側の愛の世界とつながっているという感覚があり、

 

そこに生を預けて、そういう愛の次元に生きることができるように、感じます。

 

 

それは愛の次元が確かなものであり、私を支えると知ったからです。

 

 

この世がどんな次元であっても、この愛の次元が私を導いている。

 

この愛の次元が私を生かす。

 

この次元により、エゴ次元の私は、それでもよいと赦される場所に、とどまることができるのだと思います。

 

 

そして、愛の次元なしに私は、エゴ次元のこの世界にも踏みとどまる事はできない、ということです。

 

愛の次元がなければ、この世のエゴは、迷走して肥大して、劣化し続けて、最後には自爆して壊れて、ダメになってしまう、ということだったのです。

 

(でも愛の次元はあるので、実際はそんなことにはならないのですが)

 

 

もともとエゴ野郎の私です。

 

 

その私が存在できるのは、愛の次元が私を生かしていたから、としかいいようがなかったのです。

 

 

で、この次元とは、私の死の向こう側にあるのか、私の死とどのような関係になっているのか?

 

 

この愛の次元は、私の生死より強く、私の生死以前にあるものだという気がします。

 

 

いえ、この世の次元の様々なざわめきより以前に、存在している、そういう気がしてきます。

 

(何者も、キリストにおける神の愛から、私を引き離すことはできないのであると、パウロも(泣きそうになりながら、叫ぶように)言いましたが)

 

目に見えるこの世よりも強い、愛の次元の愛の働きがある、このことを私は実感するに至りました。

 

それは、エゴよりも強いもの、悪よりも強いものが、エゴを抱き取ることを、感じ取ってしまったからです。

 

つまり、愛はエゴを覆ったのです。

 

 

 

 

一方で、この地球次元が、世界至る所の権力者が、地下の組織が、また日本の政治が、官僚の支配が、

 

ものすごいエゴのやりたい放題であることを、日々深く感じています。

 

身近なネット詐欺だって同じです。

 

悪意でカード情報などを騙し取る。当然のように人を陥れる悪意で、なのです。

 

劣化している次元で、欲望に塗れて、物欲、支配欲に駆られ、人を騙し、人を陥れ、人から奪い取る。

 

よくそんなことができると思いますが、善意と悪魔は紙一重、でしたね。

 

そういう悪意に、ものすごい怒りと強烈な悲しみを抱く、そういう世の中です。

 

これがエゴ次元の現実でしたね。

 

逃れようもない、地球の現実です。

 

私が生きている現実でしたね。

 

ここから私はどこへ行くのですか?

 

 

現実が劣悪次元だったとして、悪魔がやりたい放題だったとして、

 

愛とつながっている心の中の高次の次元が、

 

ただただ私を支えている。悪魔の私をも支えている。

 

それを知って感じて、ただ生きることができる、というのみでしょうか?

 

 

 

でもなぜ、グチャグチャのこの次元があったのですか? 

 

そしてなぜ、このグチャグチャの次元に生まれて、私という意識が生じているのですか? 

 

 

ワンネスの魂が、愛の多様性を経験するためだ、

 

という説明も聞きます。

 

 

だからといって、互いに相争うような、こんなにも劣悪な世界が存在する必要や理由が、あったのですか? 

 

 

(この問いができるのも、愛の次元からのまなざしをもったからですね)

 

 

劣悪な次元、それは一体何のためだったのか?

 

 

ここで一気に究極の答えを試みます。

 

それは私が(あなたがと言ってもいいです)劣悪な次元を乗り超えるため、でした。

 

そのために、私の前にそれが現れているのです。えぇーッ‼

 

私が作ったともいえます。

 

ここに意識が嵌ってしまって、逃げられない。

 

そんなのなかったと思って、そう言明すれば、そこから抜け出す事ができるのか?

 

そうはいきません。こんな世界を私は見てしまった。

 

 

さあ困った。これが現実だ。

 

 

 

(神代桜 春うらら、しづ心なく花の散るらむ)

 

 

(つづく)