愛でエゴの根っこを抱き取ることができるのですから、
私はいま、
向こう側の愛の世界とつながっているという感覚があり、
そこに生を預けて、そういう愛の次元に生きることができるように、感じます。
それは愛の次元が確かなものであり、私を支えると知ったからです。
この世がどんな次元であっても、この愛の次元が私を導いている。
この愛の次元が私を生かす。
この次元により、エゴ次元の私は、それでもよいと赦される場所に、とどまることができるのだと思います。
そして、愛の次元なしに私は、エゴ次元のこの世界にも踏みとどまる事はできない、ということです。
愛の次元がなければ、この世のエゴは、迷走して肥大して、劣化し続けて、最後には自爆して壊れて、ダメになってしまう、ということだったのです。
(でも愛の次元はあるので、実際はそんなことにはならないのですが)
もともとエゴ野郎の私です。
その私が存在できるのは、愛の次元が私を生かしていたから、としかいいようがなかったのです。
で、この次元とは、私の死の向こう側にあるのか、私の死とどのような関係になっているのか?
この愛の次元は、私の生死より強く、私の生死以前にあるものだという気がします。
いえ、この世の次元の様々なざわめきより以前に、存在している、そういう気がしてきます。
(何者も、キリストにおける神の愛から、私を引き離すことはできないのであると、パウロも(泣きそうになりながら、叫ぶように)言いましたが)
目に見えるこの世よりも強い、愛の次元の愛の働きがある、このことを私は実感するに至りました。
それは、エゴよりも強いもの、悪よりも強いものが、エゴを抱き取ることを、感じ取ってしまったからです。
つまり、愛はエゴを覆ったのです。
一方で、この地球次元が、世界至る所の権力者が、地下の組織が、また日本の政治が、官僚の支配が、
ものすごいエゴのやりたい放題であることを、日々深く感じています。
身近なネット詐欺だって同じです。
悪意でカード情報などを騙し取る。当然のように人を陥れる悪意で、なのです。
劣化している次元で、欲望に塗れて、物欲、支配欲に駆られ、人を騙し、人を陥れ、人から奪い取る。
よくそんなことができると思いますが、善意と悪魔は紙一重、でしたね。
そういう悪意に、ものすごい怒りと強烈な悲しみを抱く、そういう世の中です。
これがエゴ次元の現実でしたね。
逃れようもない、地球の現実です。
私が生きている現実でしたね。
ここから私はどこへ行くのですか?
現実が劣悪次元だったとして、悪魔がやりたい放題だったとして、
愛とつながっている心の中の高次の次元が、
ただただ私を支えている。悪魔の私をも支えている。
それを知って感じて、ただ生きることができる、というのみでしょうか?
でもなぜ、グチャグチャのこの次元があったのですか?
そしてなぜ、このグチャグチャの次元に生まれて、私という意識が生じているのですか?
ワンネスの魂が、愛の多様性を経験するためだ、
という説明も聞きます。
だからといって、互いに相争うような、こんなにも劣悪な世界が存在する必要や理由が、あったのですか?
(この問いができるのも、愛の次元からのまなざしをもったからですね)
劣悪な次元、それは一体何のためだったのか?
ここで一気に究極の答えを試みます。
それは私が(あなたがと言ってもいいです)劣悪な次元を乗り超えるため、でした。
そのために、私の前にそれが現れているのです。えぇーッ‼
私が作ったともいえます。
ここに意識が嵌ってしまって、逃げられない。
そんなのなかったと思って、そう言明すれば、そこから抜け出す事ができるのか?
そうはいきません。こんな世界を私は見てしまった。
さあ困った。これが現実だ。
(神代桜 春うらら、しづ心なく花の散るらむ)
(つづく)
