ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜 -23ページ目

ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜

「ワクチン」とは、支配、搾取、詐欺、依存、保身の象徴。
「松の葉」とは、愛、癒し、自由、喜び、信頼、希望の象徴。
今までのエゴ的な価値観を全てひっくり返し、この5次元の地球をいかに生きるかを、今起きていることから考えたい。

 

 

なんだか我ながら、劇的に行ったり来たりです。

 

地獄と天国を。

 

重い世界はどこまでも重くまとわりつく。でもそれは、うたかたのように消えていく。

 

重い世界と、それが虚妄に見える軽い世界。

 

どうしてそうなっているのか?

 

相変わらずこの問いです。

 

 

重—い重—いエゴの、根っこがなかったと気がつけば、まさにそれによって、エゴの呪縛から、そぉっと抜け出していく・・・。

 

私が映し出したエゴとは、何者でもない「虚」が自縄自縛して、己を締め上げているものだった・・・。

 

それは、自爆して自滅するほか、道がないものだった。

 

でも、そこから、もし気がつくことができれば、そのことによって、抜け出す事ができる。

 

こう言い切って、いいのでしょうか?

 

(ーーわたしゃ神様ではありませんが、そう見えてきます。

 

やっぱりこうなっているのは、抜け出すためだったのか?)

 

 

先の者は後になり、重いものは軽くなる、なのでしょうか。

 

 

ですがデスガ、自分だけ抜け出してもいいんですか?

 

自分だけ軽くなってもいいんデスかぁ?

 

いや、自分だけっていうことではないように、思います。

 

自分他人って問題ではないと思います。

 

そういうことではなく、

 

重いものとは別の世界に、軽くなった者=私は離脱していくのでしたね。

 

自分の中の重くしつこかったかさぶたが、剥がれ落ちていくようです。

 

でも、エゴそのものと無縁になった、というわけではありません。

 

自分に映っていた、根を張った自他のエゴが、

 

根無し草の浮き草のように、プカプカ漂っているのが見えている、

 

という感じです。

 

 

エゴの世界の中で、ようやく動きだし、泳ぎ出した私。

 

どれ、この世界のなかで、どこまでも軽く、を目指しましょうか。

 

この世界にいて、どこまでもジョイさんでいましょうか。

 

(まあ、自分でそう名乗っているのですから、そうでしょうけど)

 

そうしたら、この世界も、ちょっとだけでも、風通しがよくなるかもしれません。

 

 

でもエゴの世界ですよね。そのエゴの底が割れて、自分では気がつかなくとも、お里が知れてしまって、プカプカ浮いているんですよね。

 

その中で、私はそこに引っぱられずにいることが、できますか? 

 

 

だけど私は気がついたんです。

 

エゴの人と、エゴが見えちゃった人は違う、と。

 

エゴが見えちゃったら、もうエゴではいられなくなるんですね。

 

だってそれは根なしの虚妄だとわかってしまったんですから。

 

そこによって立つことなんか、できないでしょう。

 

立とうにも、底なし沼みたいなものですから。

 

 

だから、エゴにうち興じる(!)人のように、エゴではいられない。

 

エゴには振り回されなくなるんですよね! もう不思議なことに。

 

エゴの波動は、自分と異なったものだと、見えてきてしまうだけです。

 

 

 

でもこれまでずっとエゴだった私が、こんなこと、ホントに言っていいんでしょうか?

 

ずっとエゴから抜けられないと思い、エゴを自任し、みずからエゴ野郎だといい、

 

そこにしかよって立つところがない、と思っていた私が。

 

(私が魅かれる親鸞も、自分を凡夫だと言い、地獄は一定住処(すみか)ぞかし、と言ったではないですか!)

 

でもその、そのエゴこそ、

 

よって立てるものなど何もない、ふにゃふにゃの、底のないズブズブの、無明のどよんの場所、

 

だったのではないのでしょうか。

 

私が「よって立つ」などと言っていたそここそ、自分の言い訳と、反射的な自己正当化の拠り所であり、

 

それはただちに、無力な、どこにもない場所であって、

 

そこにとどまれば、自分も沈んでいくだけだったのですね。

 

 

ダッたら、抜け出すほか光も射さないような場所に、私もいたわけです。

 

私はそこにじっととどまり、わかった気でいた。

 

エゴが実は気持ちが良かった!!!!

 

 

・・・・・

 

 

でもそのエゴがおしまいだったのでした!

 

ぷかぷか浮かんでしまうものでした。

 

私を始め、大多数の人が、そこでそうやって日々を過ごしている場所。

 

それは全くの根無し草の闇であり、そこに全くいる必要のない、いられない場所であり、

 

このことがわかったら、もうエゴはおしまい! と言えるほどの場所です。

 

(こんな事私が言っていいのか、とまだ不安や恐れや疑いが湧いてきます)

 

 

地獄とは、出たいと思ったときに初めて出られる、と、地獄から生還してきた人の本に書いてありましたけれど、

 

私は本当にエゴを対象に、エゴから離れることができているのか、しばらくは自分を観察していくほかはない、と思います。

 

(エゴから抜け出したら、わたしゃ神様でしょうか? メ、滅相もない。

 

 ——いや、私は神であり悪魔であると、以前言ったではないですか! 

 

 ——そのときは両方だと言ったノ! 

 

 ——ホントに抜け出してから言ってよ!!)

 

 

 

 

 

(松林の中の紅一点)

 

(つづく)