エゴが蠢いている事が自他の中に見えたら、
そこからそぉーっと、
エゴであることがわかったら、
もう、
エゴであるって、
不安定でふにゃふにゃして、根無しで、
落ち着きの無いイメージなん
蠢いているのが見えたら(映ったら)、
自分の中で、何かの思いや感情が湧いたときに、
それから、自他の心の中に、違和感、突き刺さるような否定、
根無しで、不要で、どこにも行かない感覚が湧いて、
エゴが分かる、エゴが自分に映るって、
このことがわかれば、
そこにはいられないし、そこを乗り超えられるということです。
エゴから抜け出すって、こういうことから、
その道を、私はもう、歩んでいると、
先生は、エゴはやめられないと仰り、私も同意しました。
そしてエゴを唯一やめる道は、「松葉とワクチン」
(このブログでは出てきません。ゴメンナサイ)
でもそれは、「エゴを映す」ということばに、
自分がエゴから抜け出したと言えるかどうかは、
今のところ、歩む道はひとつではないかと、感じています。
で、エゴを映して、一体何が起きるのか、
今感じている、何これ? ということを、書いてみたいと思います。
(これホントかなって、思いもしますが。
エゴというのは、ただ自分に拘っているというだけですよね。
そして自分を主張し、自分を守り、自分は得したいと思い、
人を無視し、人を支配し、
つまり、保身です。
自分にしがみついているその自分って、まったく根拠がなく、
しがみつく根拠がないってことは、
その自分に意地を張るなんて、
つまり、しがみつく自分って、そもそも存在しなかった、
(だって無い所にいるんです。かげろうのようです)
これがエゴの気づきの要なんですね(!)。
ここに気づいたら、
もう存在しない自分に執着することもなく、
つまり、エゴって、無いものをあると言う、幻影、
存在しない自分のことを、大事だと思っているんです。
存在しないものに囚われ、引っかかっているだけなんです。
なぜ存在しないものに囚われてしまうのか?
それは、世界中のものが、
もともと、根拠のないもの、
見えないからでした!!!
世界の中のものとは、
所有もできず、
それを知らないが故に、自分に、
これらのものは、陽炎のように空虚なもので、
確固たる物だと見えたものは、
すべてが写し(映し)
そして映しには、根拠がないのです!
私が急に何を言い出したのか、と思ったかもしれません。
根拠のない、実体のないものに執着して、エゴが湧いていた、
「般若心経」にもある通り、
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
一切のものは空であることが見えた、ということです。
だから、
無いモノに囚われる、虚ろなる無い心、
ということでした。
何という事か! 欲しがっていたものも、自分も、全部嘘だった、
(ホントですか???)
(またまた急転直下して、全部空っぽ、ですかぁ???)
エゴってここまで深い迷妄、迷いを生むものだったんです。
私は一体どこに生きていたのですか?
そしてこれからどこに生きるのですか?
・・・・・・
でも、一歩進んで、このようにも言えます。
エゴの保身というのは、誰もがやっていることです。
そう、誰もが自分を守って、保身しているから、
そして、実は、このことがカギなんです。
どういうカギか?
それは、保身する者は誰もが、そうする必要はなかった、
(ハァ??????)
必要がないのに全員がしている。
つまり、全員が全員、
そしてこれは、全員に行き渡る、
全員大切であるという「愛」のうちにいたということなんです!
つまり誰もが、エゴから抜けられるということなんです!!
(それはまた大胆な!?!?)
必要がない、ここに気がつく事が、軽くなる大前提です。
誰もがエゴの牢獄の中にいなかった、ということですから。
エゴが必要のないものだとわかれば、
そして軽いことばかり、したくなるんです。
ーー大丈夫かあ? これまで散々エゴやってきたのに、必要ないなんて、言えるのか?
ーー言えるんです! だってエゴにいたくないって、
軽いことをしたい。
これって何でしょう。
自由というより、「自動」なのではないか?
自分のエゴが消えていくということは、自由、というより、
自分がしたいことを、そのときそのとき、ただ選択して、する、
そのことになんの曇りもない。
そこに邪念、計算、悪想念が湧いたら、
エゴ想念は、自分の気づきの機会、
ただそれだけなのですから。
つまり、自動が働くとは、エゴの根無し、カオスを超えていて、
そうでない世界、これまでと違う世界に、入るような気がします。
そしてとにかく、楽しいのです。
(ホントにここまで来たの???)
私はこれから、どういう世界に進むのか?
でも、一切空とはどういうことだったのですか?
無いモノに囚われる、虚ろなる心が、ないとしたら、
私が全部、世界を生み出しています。
(ええっ? 一体どんな私が?)
私を遮るものが、内にも外にも、どこにもない私、
(そんな私があるんですか?)
私ならぬ私が現れる、ということでしたね。
(それって先生が仰ってた、
そういうこと、でしたね。
その私は、まったく自由な空間にいる、そんな感じです。
私が生み出した限りで、私は私の周りのものたちに出会います。
そこに囚われの思いも持たずに。
エゴをなくすだけで、私ばかりか、
そして私は、活動的で、
周りに対しての喜びの思い、
という感じです。
ーー面白いんだけど、何か面映いなあ。言い過ぎじゃないの? 大丈夫かぁ?
ーー大丈夫だぁ。
(虚空か?? 真っ青の空)
