ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜 -20ページ目

ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜

「ワクチン」とは、支配、搾取、詐欺、依存、保身の象徴。
「松の葉」とは、愛、癒し、自由、喜び、信頼、希望の象徴。
今までのエゴ的な価値観を全てひっくり返し、この5次元の地球をいかに生きるかを、今起きていることから考えたい。

 

 

 

エゴがこの世に溢れていて、自分もそれに染まって、平気で立ち回る。

 

自分がそういう世界にいて、その一員として生きている。

 

みんなが、社会自体が、エゴにいる。

 

それで誰もが当たり前で、それに対しては触れずに俯いていて、

 

誰も、目を見上げようとしない。

 

もしくは、エゴは人ごと。

 

 

自分たちのエゴの振る舞いが、恥ずかしい、貧しい、卑しいものであることを、

 

見ることをせず、そこから目を逸らしている。

 

 

生き延びるための「持続可能な」エゴの生存競争をしている自分を、

 

さもしいとも、愚かしいとも、思わない。思いたくない。

 

 

エゴの生存競争が、自ら、愛から自分を切り離し、

 

愛とは無縁の存在になっていることなど、思いも寄らないで。

 

 

関係ない、仕方が無い、もしくは当たり前、と認識して、

 

 

エゴである自分と社会とについて、

 

目を伏せて、疾しく、恥ずかしく、

 

人に隠して、あるいは開き直って、(ドヤ顔で)生きる。

 

 

 

だって、それは、しかたがない。

 

(————そんなこというなよ。お前だってそうだろ)

 

(————否定しません)

 

 

これが私たちの姿ではないか、と思います。

 

 

自分自身のエゴの振る舞いから、

 

目を伏せて、あるいは見ないで、生きなくてはならないって、

 

なんて自己否定なのでしょう。

 

なんて後ろ暗いことしているのでしょう。

 

 

でもそうだとも、人はあまり認識していないようですが。

 

 

誰にも言えない闇、人が逃げ出したくなる闇を、誰もが抱えているのに、

 

上辺だけは、明るい顔をしている。なんていうことでしょうか。

 

 

(私は昔、あっち行け、このヤなオーラの奴、と、

 

人が遠ざかる人間だったと、以前も言いました。

 

闇全開、だったからでしょうか?

 

でもそれは、誰もが抱えていたんだ、と思います。

 

人には言わず、表に出さないだけで)

 

 

誰もが後ろ暗いエゴを、実は隠し持って、

 

あるいは、それに気がつかないで、生きている。

 

 

そして自分が愛に生きる事ができるのに、

 

そういう自分を知らないで、

 

エゴを何度も繰り返している。

 

 

 

だから、

 

エゴを抱える者はみな、みじめな存在だとしか、

 

いいようがないのではないですか?

 

 

人は誰でも、本当に光り輝いて、明るく生きることができるんですよ!!!!

 

(私という実例を見てください! アマリジツレイニナラナイカ???)

 

 

自分がコソコソしなくていい、と気がつけば。

 

自分だけがトクをする、という振る舞いをやめたら。

 

オレはダメなんだ、オレにはでき〜ん、と言わなければ。

 

人にマウントしたり、命令したり、無視したりしなければ。

 

自分を人に対して閉ざして、ふさぎ込まなければ。

 

 

でもそれをしないじゃない!

 

当たり前に嘘をつき、ごまかし、

 

自分の我を通すじゃないか。

 

偉そうな顔をするじゃないか。

 

 

 

自分が光であったというのに、それを知らないで、

 

闇に生きようとしか、しない。

 

自分の存在が誰であるか、誰でありうるかを、わかろうとしない。

 

 

それでただひたすらに、エゴをやり続けている。

 

でもそうしている自分のみじめさがわかったら、

 

そこから新しくなっていくことが、できるんですよ!

 

 

私がいまここにいる世界で、

 

私の「分身」である人々が振る舞う行為、

 

その「無益」なことが、

 

私の腹の底に、どんどん染み渡っていく。

 

 

そこで私は、そこから回復していく行動を取ることが、できるでしょうか?

 

 

エゴから出ることができる???

 

 

エゴを持っていてもやめられない。

 

エゴが嫌だと思っても、エゴで生きてしまう。

 

つまりはエゴそのものの存在。

 

 

 

私もずっとそうだった。そこから出なかった。

 

 

今は震えながらいいます。

 

そこから出る事が、できるのだ、と。

 

 

 

このエゴを放っておいたままにして、

 

愛を、平和を望んだとしても、うまくはいかない。

 

なぜなら、エゴをやめる、というのがその答えだから。

 

 

 

だからもし望むのなら、エゴを手放す以外に、

 

愛の存在に至る道はありません。

 

 

エゴから抜けられず、そこから抜けようともがくのは、

 

人が歩む、とても困難な過程でしょう。

 

 

でもそこで止まってしまい、

 

暗い思い、人への怒りや批判、

 

貧しい感情、疾しさや後ろめたさを、抱えたままで、

 

生き続けてしまう人が、とても多いのではないか。

 

 

ですが、人間はみな、そこに止まって、終わる存在では、なかったのです!!!

 

 

もっともっと、魂のレベルの高い存在、誰もが愛に溢れた存在、

 

それが人間の存在だったのです。

 

 

 

きのうまでエゴをやめられなくて、

 

自分のことを、エゴ野郎だと言い続けてきた野郎!が、何を言うのか、

 

と思われるかもしれません。

 

 

(————エラソーに。自分だけ分かったというのか。分かったからって、今度は説教かよ)

 

 

反発を抱かれる方は、その反発を吐き出してくれて結構です。

 

だってわかるんだもん。

 

反発したいのが人間だし、私も同じ反応をしたと思うから。・・・

 

 

(————誰もが愛の存在なんて、人から言われることじゃないよ。

 

こっちは勝手に歩むから、人に容喙しないでほしいな。

 

俺はあんたの世界のものじゃないよ。

 

あんたは大きなお世話やってるだけだよ)

 

 

私は言われ放題ですた。

 

 

だから、お互いが、みじめで哀れな存在だった、ということなのでしょうか!?

 

 

(————勝手にまとめるなよ。人に口出しする暇があったら、自分のことだけやってろよ)

 

(————自分のコトダケ、トワケルコトハ、デキナイノデスガ・・・)

 

 

————このみじめで哀れな、あなたと私ジョイさんが、人を愛することのできる道を、探していきましょう。

 

————俺は俺のやり方でやるよ。みじめで哀れな、なんて形容は、やめてくれ。指図されても、指図に乗る気はないね。

 

 

 

まあ、それでも、人はそもそも愛に溢れた存在で、

 

愛に逆らっても、愛のほうは見放さないのでしたよネ。

 

 

誰もが愛に溢れた存在であるってことを、

 

誰も否定できないのですよネ。

 

 

飽くまでも、どこまでも、悪魔であるのを選ぶのでないならば。

 

 

 

 

 

ほかならぬ私自身が、人と共感できず、こんなにも愛から遠い、

 

みじめで哀れな存在だとわかったら、

 

そこからまた、改めていく道を、

 

見つけることもできるかもしれません。

 

 

愛の方は見放さないことが、わかったから。😀

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

それから、私からは、愛から一番遠そうに見える、上の方々ですが・・・。

 

(上の方々は違う、というかもしれません。人のことを思ってる、と)

 

 

でも、自分を、人からは上と思っている限り、

 

愛からは遠いですね。

 

なぜなら人に上も下もないので。

 

上と下で成り立つ、競争ピラミッド社会で、

 

エゴを埋め込まれてしまったように感じます。

 

 

 

愛を知らないから、

 

人に鎧を向ける。そして自分を隠す。

 

 

愛で分かち合うことを拒むから、

 

人に隠して、ひとり閉じる。身を守る。

 

 

愛であり、愛に溢れていてこそ、

 

命が輝いて、生き生きと生きられるのに。

 

 

自分がどういう(愛の)存在であるかに気づかず、

 

エゴの鎖に自分を閉じ込めて、

 

自分の首をしめ、自爆さえする。

 

 

(でもどうか、悪魔にならないで。大きなお世話か? 

 

どっちにしても、上も下もないのが、人間世界デス)

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

だから、

 

私はまあ、みじめで哀れな道を、

 

自分で歩みましょう。

 

人にどうしてほしいというのではなく。

 

 

自分は愛に溢れた存在であると、

 

泣きながら、歌いたい〜。

 

 

そして自分をみじめにしているものを、

 

すべて味わいましょう。

 

 

全然私が気がつかないでいた、

 

すべて人を覆っている「エゴ社会」というものを、

 

味わいましょう。

 

 

そしてどこまでも、

 

愛に溢れた存在、愛に溢れた世界を、

 

愛し続けていきましょう。

 

 

 

 

 

(チューリップが思いっ切り開花してしまいました)