心は〜 軽やか〜 小鳥も〜 さえずり〜
などと、鼻歌を歌いながら、私は、目覚めました。
今日も一日、軽いなあ〜。
今日は、何をしようかなあ。
そんなことを思い浮かべていましたが、
でも、軽くなったはずの私に、なぜか、突き刺さってくる、
テレビは見ないわが家では、YouTubeで世の動きを見るのです
この方は新型コロナウイルスワクチンを接種して、
そこから回復され、
仔細はともかく、私の心に響いた感想だけを、語りますと、
今,トランプ大統領が、これまでになかったような世界の刷新を、
日本では、政府もマスコミも、
消費税増税、ウクライナ支援継続、
これまで同様の国内政治を繰り返しているけど、
という憤りでした。
このギャップは、私の心にも刺さりました。
とにかく、違う、とにかく、正反対なのです。
とにかく、重い、そしてこれは急所だと感じたのですね。
この重さが、軽くなった私の心に響きました。
なぜ日本はこういう所にいるのか? なぜ目覚めないのか?
痛切な響きが、そこにはあると感じたのです。
その響きは、私の感じている軽さと、なぜか、
なぜだろう?
それは・・・
世界の焦点が、いま、どこにあるのか、
世界がいま、何を問題にしているか?
何を、解決するときなのか? 何を、乗り超えるときなのか?
世界が抱えている問題、というか窪み、凹み。
これが、私の感じる軽さと、響き合って、
その響き、というか訴え、それは痛切ですが、
それに、私が軽くなると、世界は軽くなるんでしょう?
そうです。世界の虚妄は、映ってしまうんです。
虚妄は剥がれるので、世界は軽い世界になってしまうのです。
ということは、つまり、虚妄の剥がれるような、
でも今見えているのは、その代議士の方が憤っているのは、
何でこんなことやってんの!? という。
そうです。それが、いまの私には、
光と闇の、
エゴと愛の、
「自分さえ良ければいい」と「人を絶対疎かにしてはいけない」
神と悪魔の、
究極の接点であると、感じたのですね。
軽さと重さの出会う所です。
ここには、
真正面の思いがある、
日本が小さくビビっているには、
その全体に目を向けることをせず、何を姑息な国民支配を、
姑息とは、つまりは虚妄です。
姑息なことをして、人の上に立つ支配者は、
そんなことやってる場合じゃないのに。
訴えている主が、
この方の思いの先は、私が見ていると同じように、
私はいま軽いか?
私は軽さを失いません。
失う事はないでしょう。
この方は軽いか? それはわかりません。
しかしながら、この方の怒りの先には、軽い世界が広がっている、
少なくとも軽い世界が、呼びかけていることが、
この方が見ている先にあるのは、エゴのない一点です。
エゴの只中でこの世界が作られている。
支配者は自分の都合で、世界を作ろうとしている。
それはとりも直さず、虚妄の世界ですが、
エゴ者同士にはそれがちょうどいいのです。
虚妄を虚妄だと感じることができなければ、
重い世界を生きる事になります。
世界の支配者と日本の支配者が、世界の統一支配、
それはグローバリストであり、陰の政府、
私は以前、グローバリストに否とは言えない、と言いました。
なぜなら私自身が、エゴを抱くグローバリストだから。
私自身がエゴ悪魔だから、
人のことをとやかく言う事はできない。
罪のない者が、まず石を投げよ、なので。
すると、私はいま、何に対して、何をすることになるのか?
私は、エゴ悪魔の重く深いマイナスのエネルギーに対して、
その虚妄を「映して」、消去したいと思っています。
エゴという負の吸引力が、人間を、
渦巻きの下降のように。
その負は、誰のうちにもあるものでした。
その負を、私は軽さのうちに、呑み込もうと思う。
私の軽さは、闇と言えるものを、軽さのうちで消し去ろうと思う。
なぜなら、すべて、エゴとは虚妄だったから。
誰のエゴも、私のエゴも。
虚妄が映ったら、もうそれは存在しない。
色即是空です。
軽さは、軽くないことに、どこまでも向き合う。
重いものの支配に、どこまでも向き合う。
軽くないということを感じ取って。
軽くない孤立、軽くない暗さ、軽くないみじめさが、
それが、愛であると、知って。
私のさいわいにも感じられる軽さが、重さを呼んでいる、
重さと照応している、という思いがします。
軽さを知ったから、重さには、そうではない、そうでなくていい、
重さが映ってしまったので。
軽い者は、石は投げません。
重いものは、蒸発して消えていくもの、そのように思います。
では、具体的に、どうするのですか?
やはり、私が軽くなると、世界は軽くなると思います。
なので私は、焦点となる問題に、いつでも、
世界を暗く、重くしている問題を払って、軽くしていくのですね。
軽いものは、重いものを軽くしていく・・・。
さて???
(軽いものは、虚空を舞います)

