ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜 -16ページ目

ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜

「ワクチン」とは、支配、搾取、詐欺、依存、保身の象徴。
「松の葉」とは、愛、癒し、自由、喜び、信頼、希望の象徴。
今までのエゴ的な価値観を全てひっくり返し、この5次元の地球をいかに生きるかを、今起きていることから考えたい。

 

 

心は〜 軽やか〜 小鳥も〜 さえずり〜

 

などと、鼻歌を歌いながら、私は、目覚めました。

 

今日も一日、軽いなあ〜。

 

今日は、何をしようかなあ。

 

そんなことを思い浮かべていましたが、

 

 

でも、軽くなったはずの私に、なぜか、突き刺さってくる、と感じることがありました。

 

 

テレビは見ないわが家では、YouTubeで世の動きを見るのですが、そこである代議士の方が訴えていました。

 

この方は新型コロナウイルスワクチンを接種して、悪性リンパ腫になり、

 

そこから回復され、ワクチンを疑問視している方です。

 

 

仔細はともかく、私の心に響いた感想だけを、語りますと、

 

今,トランプ大統領が、これまでになかったような世界の刷新を、次から次へとやっているのに、

 

日本では、政府もマスコミも、そこに意識を向けることもできずに、旧態依然と、

 

消費税増税、ウクライナ支援継続、世界の先鞭となってのワクチン開発、子供の行方不明の放置、外国人の優遇、日本国民からの簒奪、棄民と、

 

これまで同様の国内政治を繰り返しているけど、一体何をやっているのかと思う。

 

という憤りでした。

 

このギャップは、私の心にも刺さりました。

 

とにかく、違う、とにかく、正反対なのです。

 

とにかく、重い、そしてこれは急所だと感じたのですね。

 

 

この重さが、軽くなった私の心に響きました。

 

 

なぜ日本はこういう所にいるのか? なぜ目覚めないのか?

 

痛切な響きが、そこにはあると感じたのです。

 

その響きは、私の感じている軽さと、なぜか、響き合うものなのでした。

 

なぜだろう? 

 

それは・・・

 

世界の焦点が、いま、どこにあるのか、を問いかけてくるものだと感じました。

 

世界がいま、何を問題にしているか?

 

何を、解決するときなのか? 何を、乗り超えるときなのか?

 

世界が抱えている問題、というか窪み、凹み。

 

これが、私の感じる軽さと、響き合って、信号を発していると感じたのです。

 

その響き、というか訴え、それは痛切ですが、決して軽いものではありません。

 

 

それに、私が軽くなると、世界は軽くなるんでしょう?

 

そうです。世界の虚妄は、映ってしまうんです。

 

虚妄は剥がれるので、世界は軽い世界になってしまうのです。

 

 

ということは、つまり、虚妄の剥がれるような、世界が私に映った、ということになるんです。

 

でも今見えているのは、その代議士の方が憤っているのは、痛切で、切実な、訴えでしょう?

 

何でこんなことやってんの!? という。

 

 

そうです。それが、いまの私には、

 

光と闇の、

 

エゴと愛の、

 

「自分さえ良ければいい」と「人を絶対疎かにしてはいけない」の、

 

神と悪魔の、

 

究極の接点であると、感じたのですね。

 

 

軽さと重さの出会う所です。

 

 

 

 

ここには、今の状況の底に頑固にこびり付いているお焦げのようなものを、梃子で引っぱがしたいという、

 

真正面の思いがある、と感じました。

 

 

日本が小さくビビっているには、世界の流れはあまりにも強く速いのです。

 

その全体に目を向けることをせず、何を姑息な国民支配を、やっているのか。

 

姑息とは、つまりは虚妄です。

 

姑息なことをして、人の上に立つ支配者は、人を騙せると思っているのでしょうか?

 

そんなことやってる場合じゃないのに。

 

訴えている主が、世界全体の流れを見ながら発言していると感じて、その目指す先が響き合ったのでした。

 

 

この方の思いの先は、私が見ていると同じように、軽いと感じたのです。

 

 

私はいま軽いか?

 

私は軽さを失いません。

 

失う事はないでしょう。

 

この方は軽いか? それはわかりません。

 

しかしながら、この方の怒りの先には、軽い世界が広がっている、

 

少なくとも軽い世界が、呼びかけていることが、感じられたのです。

 

 

この方が見ている先にあるのは、エゴのない一点です。

 

 

エゴの只中でこの世界が作られている。

 

支配者は自分の都合で、世界を作ろうとしている。

 

 

それはとりも直さず、虚妄の世界ですが、

 

エゴ者同士にはそれがちょうどいいのです。

 

 

虚妄を虚妄だと感じることができなければ、

 

重い世界を生きる事になります。

 

 

世界の支配者と日本の支配者が、世界の統一支配、人々の支配を目論む、

 

それはグローバリストであり、陰の政府、ディープステイトということになるでしょう。

 

 

私は以前、グローバリストに否とは言えない、と言いました。

 

なぜなら私自身が、エゴを抱くグローバリストだから。

 

 

私自身がエゴ悪魔だから、

 

人のことをとやかく言う事はできない。

 

罪のない者が、まず石を投げよ、なので。

 

 

すると、私はいま、何に対して、何をすることになるのか? 

 

 

私は、エゴ悪魔の重く深いマイナスのエネルギーに対して、

 

その虚妄を「映して」、消去したいと思っています。

 

 

エゴという負の吸引力が、人間を、世界を闇へと呑み込もうとしている。

 

渦巻きの下降のように。

 

 

その負は、誰のうちにもあるものでした。

 

その負を、私は軽さのうちに、呑み込もうと思う。

 

私の軽さは、闇と言えるものを、軽さのうちで消し去ろうと思う。

 

なぜなら、すべて、エゴとは虚妄だったから。

 

誰のエゴも、私のエゴも。

 

 

虚妄が映ったら、もうそれは存在しない。

 

色即是空です。

 

 

軽さは、軽くないことに、どこまでも向き合う。

 

重いものの支配に、どこまでも向き合う。

 

軽くないということを感じ取って。

 

軽くない孤立、軽くない暗さ、軽くないみじめさが、そこにあると知って。

 

それが、愛であると、知って。

 

 

私のさいわいにも感じられる軽さが、重さを呼んでいる、

 

重さと照応している、という思いがします。

 

 

軽さを知ったから、重さには、そうではない、そうでなくていい、といいます。

 

重さが映ってしまったので。

 

 

軽い者は、石は投げません。

 

重いものは、蒸発して消えていくもの、そのように思います。

 

 

 

 

では、具体的に、どうするのですか?

 

 

やはり、私が軽くなると、世界は軽くなると思います。

 

 

なので私は、焦点となる問題に、いつでも、意識を集中して行くことになるでしょう。

 

 

世界を暗く、重くしている問題を払って、軽くしていくのですね。

 

 

軽いものは、重いものを軽くしていく・・・。

 

 

さて???

 

 

 

 

(軽いものは、虚空を舞います)