ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜 -15ページ目

ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜

「ワクチン」とは、支配、搾取、詐欺、依存、保身の象徴。
「松の葉」とは、愛、癒し、自由、喜び、信頼、希望の象徴。
今までのエゴ的な価値観を全てひっくり返し、この5次元の地球をいかに生きるかを、今起きていることから考えたい。

 

 

なんだかちょっと、私は、また、大変なこと(なのかな?)に、気がつきました。

 

でもこれも、これまで言われてきたことであり、すでに誰もが、言っていることではあるのですが。

 

なぜ、重いものは、重いのか?

 

それは人が、人の上に乗っかるからです!(爆笑)

 

人の上に乗っかってしまっては、どっちも重くなります。

 

本来は、本当は、(虚妄から脱していたら)人はかるかったんですネ!

 

人の魂は軽く、それは天を舞い、光を放つ。

 

愛に溢れ、オーラが眩い。

 

だから、神聖なのですし、人権というのですし、

 

地球より重い(実は水素より軽い!)って、言われるんですね。

 

これが人が人であることの喜び、だったんですね。

 

これで人と人はお互い独立した者として、通じ合うことができるし、

 

 

この喜びが周りに伝わると、

 

「どうか、わしをも仲間に入れてはくれまいか?」と、

 

(「走れメロス」のメロスが、友と嬉し泣きしているところに、)

 

暴君のディオニスにまで、言われてしまうんですね。

 

 

 

でも、人の上に乗っかる人は、そこには思い至りません。

 

乗っかることが仕事だと思っているのですね。

 

乗っかることが、ピラミッド成立の約束だと、信じてしまっているのです。

 

 

いえいえ、そもそも私たちはみな、人を蹴落とすピラミッド体制を、

 

上ろうとしてきたではないですか!

 

 

人と競う学校教育を受け、人に勝つことがいいことという洗脳の只中に生き、

 

人に勝って学校、会社、官庁を上り詰め、

 

それで人を管理し、また監督し、指導し、って当たり前にやっているではないですか。

 

 

とにかく人の上に乗っかって、重くしているではないですか!!!

 

 

乗っかられる方も、乗っかられた方が(何も考えないで)ラク?だと思って、

 

依存しまくっていないですか?

 

 

依存する方も重いのです。

 

 

それでお互いが、不都合を生み出していないでしょうか。

 

 

人間社会を重くし、重い闇にしている根本原因を、乗っかる者と乗っかられる者が、自ら生み出していたなんて、

 

ちょっと唖然とする現実ですね。

 

不都合なことを、ずっと選んできたのですから。

 

自分たちで、自分たちを重くしていたのですから。

 

 

このピラミッド体制を支えているものって、

 

人の上に乗っかることが、絶対に正しい、

 

それで秩序を保っている、そうみんなで決めたのだから、

 

という暗黙の了解、「一般常識」です。

 

(乗っかられることも、仕方がない。

 

そうなっていたのだから。御上が決めたのだから。上級国民が決めたのだから・・・・)

 

 

親子関係でも、先生と生徒でも、上司と部下でも、官僚による国民の監督でも、選挙で選んだ政治家による政治支配でも。

 

 

みな上下関係は正当なものだと、してきました。

 

この約束が重くしています。

 

この重しは取り外せないのですか?

 

 

上下関係、人が人の上に乗っかるということに、根拠はあったのですか?

 

 

これって、「マウントすること」に根拠があったのか、ということそのことですよね。

 

 

マウントって、単なる力関係、強者による弱者の支配、しいたげでしかないので、

 

そこを傍から突っ込まれでもしたら、ごまかすか、無視するか、開き直るかしか、できないのですね。

 

 

上に立つ人は、自分の間違いを認め、謝ることが、たいがいできませんよね。

 

 

ああでもない、こうでもないと理屈(屁理屈)を重ねたり、

 

他の人のせいにしたりばかりに、頭を使います。

 

 

会社なら、製品に瑕疵があれば、回収して謝罪します。

 

そうでないと生業が成り立たないから。

 

 

でも、人の上に立つ人たち、政治家や、警察や、官僚たちは、

 

自分のしたことの誤り、非を、素直に認めることができるでしょうか?

 

できないんですね。

 

 

なぜ、冤罪を犯した検察と裁判所は、無辜の人の、人生の時間を奪ったことを、

 

心から謝罪できないのでしょうか? 

 

 

(冤罪ってこわいですよね。人を疑って突き進んだら、容易には引き返せないのですから。私もやったことがありました)

 

 

なぜ、警察はストーカーの被害届けを軽く見て、

 

被害者の側に立つという思いが、伝わってこないのでしょうか?

 

 

なぜ、お米が足りなくなった根本的な原因は、

 

自分たちが農家を「指導」して、減反をずっと続けた、その結果だったと、

 

官僚は素直に認めることができないのでしょうか?

 

そしてその事を、天下に謝ることができないのでしょうか?

 

 

自分たちも、農家も、国民も、同じところに立ち、間違いをも冒す、同じ人間だったと認めることが、できないからですか?

 

 

それじゃ、

 

「わしをも仲間に入れてはくれまいか」

 

と言えないじゃないですか!

 

 

人の上に乗っかって、それを当たり前にしてきたことって、

 

実は「虚妄」だった、ということなんですね。

 

 

同じ権利をもつ人間なのに、人の上に乗っかれる訳はなかったのです。

 

それは「マウント」でしかないから。

 

 

お互いかるい存在であるのに、それを重くすることはなかったのです。

 

 

人からご飯を取り上げることをしてしまって、

 

それは自分たちが人にご飯を差し上げるという、当たり前の愛・献身を拒んだからだと、感じることはできないですか?

 

 

愛を拒む、それが、エゴの正体なのですね。

 

人への愛ではなく、人の上に乗っかっての指導が正しい、と思ってしまって、

 

その帰結を見ることから、目を逸らしていませんか?

 

 

愛って言葉は、バカバカしく感じるかもしれません、自分を守る人にとっては。

 

 

でも、目の前の人を受け入れて、その人に謝ることができなければ、人と人の仲間には入れませんよね。

 

 

そうできないのは、自分は人より上だという「面子」でしょうけど、

 

それはエゴの鎧でしかありませんよね。

 

そしてそれは、「虚妄」だったのですね。

 

(辛いことですね)

 

 

自分が実は、エゴからの虚妄をやっていたなんてわかったら、

 

人生が全部、ひっくり返ってしまいます。

 

人の上に乗っかって、人を支配する根拠が、自分にはなかった、ということです。

 

 

でも、虚妄で、ピラミッド社会での人生を、お互いに成り立たせてしまっているんですよね。

 

本当は、そうじゃなかったのに。

 

人と人は、同じだったのに。

 

だって、同じご飯を食べるじゃないですか。

 

(ご飯を、みんなで分け合いませんか?)

 

 

 

全部が、マウントする者の上下関係で動いている。

 

これって、なんか、バカバカしい世の中、だったんですね。

 

 

体面を保って、根っこがないのを糊塗していて、自分ではそこに気がつかないでいると、「偉そう」になって、

 

人にマウントして「指導」してしまうのですよね。

 

 

そして、そのことを表面的には隠すのです。心やさしい悪魔のように。

 

 

それが、隠れてしまった政府,ディープステイトだったのですね。

 

ディープステイトって、ここから始まっているんですね。

 

(ホントに身近で)

 

 

ディープステイトって、その本質は、

 

隠れたまま、意識もせず、人の上に乗っかっていることで、

 

至るところにある、エゴの生身の、保身の姿だったのではないでしょうか?

 

 

これって、実は、恥ずかしい名称です。

 

隠れたふりしているけども、恥ずかしくて、表に出てこれないんです。後ろめたくて。

 

(でも、後ろめたいのから抜け出られれば、かるくなるんではないですか?)

 

 

責任とか、人への愛とかはなくても、それでいい、しかたがないと思っている。

 

乗っかっていていいと思っている。

 

ここで人に責任とったら、存在理由がなくなってしまいます。

 

(だってエゴだから)

 

(でも責任をとったら、エゴから抜け出せるかもしれません)

 

 

人に対して指導とか、できる権利ってないんです。

 

(支配の強権は、現状、あるんですけど)

 

 

だって、人はみなそれぞれ、神様なんですよ。

 

これが根本です。神聖なんですね。

 

それを無視できるなんて、悪魔にしかできないことじゃないですか。

 

つまり、かけがえ無い人の魂への、愛というものが、なかったのではないですか?

 

そういう世界を生きてしまっているってこと。

 

そして絶対、自分の間違いを認めない。

 

認めたら、自分の(エゴの)存在理由がなくなる。

 

上下って、自分で勝手に決めてるだけだもん。だから重いんだもん。

 

人にマウントするけれども、その間違いの露顕を、認めることができないんです。

 

(間違いを認めたら、重しが取れて、ラクになって、その先がある気がしますけど・・・)

 

だからまだ、続いているんです。

 

支配と隷属が。

 

 

重いか軽いかは、おもいひとつなんです(洒落ではありません)。

 

ここまで、エゴが、この世を支配していた、なんて。

 

ああ、重い(嘆き)

 

虚妄が世界中をヒューヒュー吹き荒れている感じ。

 

空っ風、空っぽです。

 

 

 

でも、エゴの正体とは、空っ風に咲く、枯れ尾花、根無し草です。

 

 

虚妄が世界中を吹き荒れてしまったら、もう、世界はすっきり、透き通っていきませんか?

 

 

もうその虚の世界にいる必要はない。

 

かるい者にとって、その重い世界のエゴに引っかかるときは終わった。

 

 

エゴの正体がわかれば、もう、かるくなりますよね。

 

 

重しが外れれば、全部がかるくなるんです。

 

 

たったそれだけのことだったんです。

 

 

それだけのことだったとわかれば、わかった人はみんな、かるさを目指せるじゃないですか!

 

 

私、あなただけのことじゃないですよ、誰もが神様ですから。

 

(いまだ、悪魔に生きたい人もいるでしょうけれども)

 

(そうでないことも、できます)

 

 

エゴから来る、世の中全体の虚妄が十分わかって、そこに同調せずに、

 

その虚妄を抜けていけるなら、

 

その先は、かるく明るい愛の世界が待っているじゃないですか!

 

 

重い世界は終わり、じゃないですか!

 

 

 

(石の上に)

 

 

(石を重ねて)

 

 

(ピラミッド)