なんだかちょっと、私は、また、大変なこと(なのかな?)に、
でもこれも、これまで言われてきたことであり、すでに誰もが、
なぜ、重いものは、重いのか?
それは人が、人の上に乗っかるからです!(爆笑)
人の上に乗っかってしまっては、どっちも重くなります。
本来は、本当は、(虚妄から脱していたら)
人の魂は軽く、それは天を舞い、光を放つ。
愛に溢れ、オーラが眩い。
だから、神聖なのですし、人権というのですし、
地球より重い(実は水素より軽い!)って、言われるんですね。
これが人が人であることの喜び、だったんですね。
これで人と人はお互い独立した者として、
この喜びが周りに伝わると、
「どうか、
(「走れメロス」のメロスが、友と嬉し泣きしているところに、)
暴君のディオニスにまで、言われてしまうんですね。
でも、人の上に乗っかる人は、そこには思い至りません。
乗っかることが仕事だと思っているのですね。
乗っかることが、ピラミッド成立の約束だと、
いえいえ、そもそも私たちはみな、
上ろうとしてきたではないですか!
人と競う学校教育を受け、
人に勝って学校、会社、官庁を上り詰め、
それで人を管理し、また監督し、指導し、
とにかく人の上に乗っかって、重くしているではないですか!!!
乗っかられる方も、乗っかられた方が(何も考えないで)ラク?
依存しまくっていないですか?
依存する方も重いのです。
それでお互いが、不都合を生み出していないでしょうか。
人間社会を重くし、重い闇にしている根本原因を、
ちょっと唖然とする現実ですね。
不都合なことを、ずっと選んできたのですから。
自分たちで、自分たちを重くしていたのですから。
このピラミッド体制を支えているものって、
人の上に乗っかることが、絶対に正しい、
それで秩序を保っている、そうみんなで決めたのだから、
という暗黙の了解、「一般常識」です。
(乗っかられることも、仕方がない。
そうなっていたのだから。御上が決めたのだから。
親子関係でも、先生と生徒でも、上司と部下でも、
みな上下関係は正当なものだと、してきました。
この約束が重くしています。
この重しは取り外せないのですか?
上下関係、人が人の上に乗っかるということに、
これって、「マウントすること」に根拠があったのか、
マウントって、単なる力関係、強者による弱者の支配、
そこを傍から突っ込まれでもしたら、ごまかすか、無視するか、
上に立つ人は、自分の間違いを認め、謝ることが、
ああでもない、こうでもないと理屈(屁理屈)を重ねたり、
他の人のせいにしたりばかりに、頭を使います。
会社なら、製品に瑕疵があれば、回収して謝罪します。
そうでないと生業が成り立たないから。
でも、人の上に立つ人たち、政治家や、警察や、官僚たちは、
自分のしたことの誤り、非を、
できないんですね。
なぜ、冤罪を犯した検察と裁判所は、無辜の人の、
心から謝罪できないのでしょうか?
(冤罪ってこわいですよね。人を疑って突き進んだら、
なぜ、警察はストーカーの被害届けを軽く見て、
被害者の側に立つという思いが、伝わってこないのでしょうか?
なぜ、お米が足りなくなった根本的な原因は、
自分たちが農家を「指導」して、減反をずっと続けた、
官僚は素直に認めることができないのでしょうか?
そしてその事を、天下に謝ることができないのでしょうか?
自分たちも、農家も、国民も、同じところに立ち、
それじゃ、
「わしをも仲間に入れてはくれまいか」
人の上に乗っかって、それを当たり前にしてきたことって、
実は「虚妄」だった、ということなんですね。
同じ権利をもつ人間なのに、
それは「マウント」でしかないから。
お互いかるい存在であるのに、
人からご飯を取り上げることをしてしまって、
それは自分たちが人にご飯を差し上げるという、当たり前の愛・
愛を拒む、それが、エゴの正体なのですね。
人への愛ではなく、人の上に乗っかっての指導が正しい、
その帰結を見ることから、目を逸らしていませんか?
愛って言葉は、バカバカしく感じるかもしれません、
でも、目の前の人を受け入れて、
そうできないのは、自分は人より上だという「面子」
それはエゴの鎧でしかありませんよね。
そしてそれは、「虚妄」だったのですね。
(辛いことですね)
自分が実は、エゴからの虚妄をやっていたなんてわかったら、
人生が全部、ひっくり返ってしまいます。
人の上に乗っかって、人を支配する根拠が、自分にはなかった、
でも、虚妄で、ピラミッド社会での人生を、
本当は、そうじゃなかったのに。
人と人は、同じだったのに。
だって、同じご飯を食べるじゃないですか。
(ご飯を、みんなで分け合いませんか?)
全部が、マウントする者の上下関係で動いている。
これって、なんか、バカバカしい世の中、だったんですね。
体面を保って、根っこがないのを糊塗していて、
人にマウントして「指導」してしまうのですよね。
そして、そのことを表面的には隠すのです。
それが、隠れてしまった政府,ディープステイトだったのですね。
ディープステイトって、ここから始まっているんですね。
(ホントに身近で)
ディープステイトって、その本質は、
隠れたまま、意識もせず、人の上に乗っかっていることで、
至るところにある、エゴの生身の、
これって、実は、恥ずかしい名称です。
隠れたふりしているけども、恥ずかしくて、
(でも、後ろめたいのから抜け出られれば、
責任とか、人への愛とかはなくても、それでいい、
乗っかっていていいと思っている。
ここで人に責任とったら、存在理由がなくなってしまいます。
(だってエゴだから)
(でも責任をとったら、エゴから抜け出せるかもしれません)
人に対して指導とか、できる権利ってないんです。
(支配の強権は、現状、あるんですけど)
だって、人はみなそれぞれ、神様なんですよ。
これが根本です。神聖なんですね。
それを無視できるなんて、
つまり、かけがえ無い人の魂への、愛というものが、
そういう世界を生きてしまっているってこと。
そして絶対、自分の間違いを認めない。
認めたら、自分の(
上下って、自分で勝手に決めてるだけだもん。
人にマウントするけれども、その間違いの露顕を、
(間違いを認めたら、重しが取れて、ラクになって、
だからまだ、続いているんです。
支配と隷属が。
重いか軽いかは、おもいひとつなんです(洒落ではありません)。
ここまで、エゴが、この世を支配していた、なんて。
ああ、重い(嘆き)
虚妄が世界中をヒューヒュー吹き荒れている感じ。
空っ風、空っぽです。
でも、エゴの正体とは、空っ風に咲く、枯れ尾花、根無し草です。
虚妄が世界中を吹き荒れてしまったら、もう、世界はすっきり、
もうその虚の世界にいる必要はない。
かるい者にとって、
エゴの正体がわかれば、もう、かるくなりますよね。
重しが外れれば、全部がかるくなるんです。
たったそれだけのことだったんです。
それだけのことだったとわかれば、わかった人はみんな、
私、あなただけのことじゃないですよ、誰もが神様ですから。
(いまだ、悪魔に生きたい人もいるでしょうけれども)
(そうでないことも、できます)
エゴから来る、世の中全体の虚妄が十分わかって、
その虚妄を抜けていけるなら、
その先は、かるく明るい愛の世界が待っているじゃないですか!
重い世界は終わり、じゃないですか!
(石の上に)
(石を重ねて)
(ピラミッド)


