ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜 -11ページ目

ワクチンと松の葉 〜自分さえ良ければいいというエゴをどう乗り超えるか?〜

「ワクチン」とは、支配、搾取、詐欺、依存、保身の象徴。
「松の葉」とは、愛、癒し、自由、喜び、信頼、希望の象徴。
今までのエゴ的な価値観を全てひっくり返し、この5次元の地球をいかに生きるかを、今起きていることから考えたい。

 

 

 

とにかく、この世界で何が起こっていようとも、

 

 

どんな悪魔的な支配が、陰謀が、世を覆っていようとも、

 

 

ただただ、愛の軽いまなざしを持って、世を愛そうと、私は思ったことでした。

 

 

 

そこに拠点があるから。そこが平和だから。そこが始まりだから。

 

 

悪魔の意思も、始まりなのでしょうか? 

 

でも、そこには光はありません。

 

悪魔も宇宙のソースの試みといえるのか?

 

(闇を極めようという試みかもしれません)

 

 

でも私は愛となり、軽さを保ち、その軽さから愛を注ぎましょう。

 

愛の軽さが始まりだから。

 

 

愛の喜びがあると、愛がさらに湧き立ちます。

 

愛が湧いてくるのは、ものとものが、呼応し合うからですね。

 

 

呼応するのは、ものとものが、元からつながっていたから。

 

 

決してひとりでなく、決して皆がバラバラではない。

 

愛とはつながりだったから!

 

 

 

だから、愛とは響き合います。喜び合います。

 

 

でも、それを私は、人に期待するわけではありません。

 

 

私がただただ与えるだけです。

 

 

これって偉そうですか?

 

いえ違うんです。

 

 

与える以外に、私はすることがないということです。

 

 

なぜならそれ以外のベクトルがないから。

 

受け取ることはできるでしょう。

 

でも、人から奪いたい、人のを欲しい、ということはないんです。

 

それって楽しくないから。

 

 

私が与えて、相手が喜ぶ、それで十分ではないですか。

 

 

 

 

実は、先日、私は、私の住む林の中の家に、高校時代の友人何人かを呼んで、バーベキュー会を開きました。

 

友人たちに喜んでもらうべく、来る日も来る日も、準備の連続。

 

家を大掃除し、布団を何組も用意し、バーベキュー用具も整え、具材を買いそろえ・・・

 

高校卒業以来、ほぼ50年ぶりに会う人もいて、その旧友が、一同に会するので、楽しみ楽しみ〜。

 

私はここ山梨に、東京からの友人を呼べるというので、できる限りのことをやろうと、

 

先日の旅行が終わってから、ほぼ、3週間は準備に没頭。

 

 

たった一日のために。

 

 

そのために、窓に新たに遮光カーテンを張り、布団を干し、

 

お風呂のカビ取り掃除までし(使われなかったけど)。

 

バーベキュー道具をそろえ、屋外用テーブルを新たに買い、椅子、木炭、紙コップに皿・・・

 

そして当日の具材、調味料、ゴミ袋、ペーパータオルと、考え出せば切りがない。

 

お肉と魚、野菜はどれくらい? そうだ、地産の、あゆと、鹿肉も用意しよう。

 

 

 

お酒は飲む人が持参。でもお酒が入るから帰れない、気持ちよく泊まってもらうために、どうしよう?

 

 

バーベキュー後は、屋内で2次会を開き、

 

そのために、リビングのソファの位置も替え、花と果物も飾り、マガジンラックも置き、

 

普段使っているものは、シーツで目隠しをし、

 

やればやるほど、準備することが出てきて、

 

まるで民宿のおやじ状態。オーベルジュ(レストラン付きホテル)とはいいませんが。

 

 

 

でもその過程がとても楽しくて、ワクワク。😀

 

みんなに喜んでもらうため、というその一字しかないのです。

 

それでモチベーションが続くのです。

 

 

 

2次会は、余興で演奏会を開いて、場を盛り上げ・・・。

 

この3月に東京、・上野で会った友人(私のストリートピアノでの忘れ物を一緒になって探してくれた人)が、

 

リコーダーを持ってきて、ヘンデルのフルートソナタを吹いてくれて(私はへたなピアノ伴奏)。

 

 

そして、私が東京で冒頭だけ弾いた、オフコースの「♪もう終わりだね〜」(「さよなら」)の弾き語りは、楽譜があったので、東京のときよりもうまく行きました😅ヨカッタ)

 

 

(松田聖子「青い珊瑚礁」もやってみたけど、女声とはキーが合わず、皆から爆笑サレマシタ)

 

 

 

(みんなの布団を敷いてあげて、就寝)

 

 

 

翌朝は、朝食の代わりに、松葉茶と、これも準備していた、自家製のデザートを出し、

 

 

別れ際は、再開を期し、また甲州街道の台が原宿の見物を忘れないようにと伝えて、

 

最後に先日の旅行のおみやげまで渡して、お別れしました。

 

この間、私は、友人に喜んでもらえることばかりを、出来る限り考え、そのことを楽しんだというわけですね。

 

 

バーベキュー用の海の幸を予め冷凍便で送っておいてくれた北海道の友人もいて、

 

まさに、私は与え、そして余るものを、受け取ったというわけでした。

 

 

思い返しても、楽しいことばかりです。

 

 

何かをやろうと思うと、ワクワクします。

 

 

こんなこと、昔の私では考えられず、

 

すぐ面倒くさイ〜とか、やりたくない〜とか、いう思いが湧いていたのに。

 

そもそも、人とはそこまで関わろうなどと思わなかったのに。

 

斜に構え、自分の人への優位性ばっかり探していたのに(あー、ヤな奴。ああ、このエゴ野郎。スミマセン)

 

 

それが一切ない!!!!!!

 

 

まさに、私がかるくなったことの現れです。

 

 

そして私が夢を描いて、愛し、愛を与えれば、それだけの現実は実現するわけです。

 

 

それだけのことです。

 

 

さてそれで、そのかるさと愛と喜びを、これから、さらに、世に満たしていくことができるでしょうか?

 

今回できたことを、続けていくことができるか?

 

 

世間に対しては、ハードルは高いでしょう。

 

重いものも、やってくるでしょう。

 

マウントもあるでしょう。

 

それでも、かるくなった私には、それができるのではないでしょうか?

 

だって、かるさが原動力なのだから。

 

それは重くなりようがないものだから。

 

重いものの底は、すでに「映って」しまっているのだから。

 

 

その虚妄を、包むことができるのだから。

 

 

 

虚妄を包み込み、かるさと愛を、その温度を、ただただ伝える。

 

 

お釈迦様の手のひらって、そういうことではないですか?

 

 

もう、お釈迦様なんですよね?!

 

その手のひらは、無限に広がるのですよね?! 

 

 

(ホントか? 大丈夫か?)

 

(大丈夫だぁ〜)

 

 

 

 

 

(木炭のバーベキューと、薪の火のバーベキュー)