とにかく、この世界で何が起こっていようとも、
どんな悪魔的な支配が、陰謀が、世を覆っていようとも、
ただただ、愛の軽いまなざしを持って、世を愛そうと、
そこに拠点があるから。そこが平和だから。そこが始まりだから。
悪魔の意思も、始まりなのでしょうか?
でも、そこには光はありません。
悪魔も宇宙のソースの試みといえるのか?
(闇を極めようという試みかもしれません)
でも私は愛となり、軽さを保ち、その軽さから愛を注ぎましょう。
愛の軽さが始まりだから。
愛の喜びがあると、愛がさらに湧き立ちます。
愛が湧いてくるのは、ものとものが、呼応し合うからですね。
呼応するのは、ものとものが、元からつながっていたから。
決してひとりでなく、決して皆がバラバラではない。
愛とはつながりだったから!
だから、愛とは響き合います。喜び合います。
でも、それを私は、人に期待するわけではありません。
私がただただ与えるだけです。
これって偉そうですか?
いえ違うんです。
与える以外に、私はすることがないということです。
なぜならそれ以外のベクトルがないから。
受け取ることはできるでしょう。
でも、人から奪いたい、人のを欲しい、ということはないんです。
それって楽しくないから。
私が与えて、相手が喜ぶ、それで十分ではないですか。
*
実は、先日、私は、私の住む林の中の家に、
友人たちに喜んでもらうべく、来る日も来る日も、準備の連続。
家を大掃除し、布団を何組も用意し、バーベキュー用具も整え、
高校卒業以来、ほぼ50年ぶりに会う人もいて、その旧友が、
私はここ山梨に、東京からの友人を呼べるというので、
先日の旅行が終わってから、ほぼ、3週間は準備に没頭。
たった一日のために。
そのために、窓に新たに遮光カーテンを張り、布団を干し、
お風呂のカビ取り掃除までし(使われなかったけど)。
バーベキュー道具をそろえ、屋外用テーブルを新たに買い、椅子、
そして当日の具材、調味料、ゴミ袋、ペーパータオルと、考え出せば切りがない。
お肉と魚、野菜はどれくらい? そうだ、地産の、あゆと、鹿肉も用意しよう。
お酒は飲む人が持参。でもお酒が入るから帰れない、
バーベキュー後は、屋内で2次会を開き、
そのために、
普段使っているものは、
やればやるほど、準備することが出てきて、
まるで民宿のおやじ状態。オーベルジュ(レストラン付きホテル)
でもその過程がとても楽しくて、ワクワク。
みんなに喜んでもらうため、というその一字しかないのです。
それでモチベーションが続くのです。
2次会は、余興で演奏会を開いて、場を盛り上げ・・・。
この3月に東京、・上野で会った友人(
リコーダーを持ってきて、
そして、私が東京で冒頭だけ弾いた、オフコースの「♪
(
(松田聖子「青い珊瑚礁」もやってみたけど、
(みんなの布団を敷いてあげて、就寝)
翌朝は、朝食の代わりに、松葉茶と、これも準備していた、
別れ際は、再開を期し、
この間、私は、友人に喜んでもらえることばかりを、出来る限り考え、
バーベキュー用の海の幸を予め冷凍便で送っておいてくれた北海道
まさに、私は与え、そして余るものを、
思い返しても、楽しいことばかりです。
何かをやろうと思うと、ワクワクします。
こんなこと、昔の私では考えられず、
すぐ面倒くさイ〜とか、やりたくない〜とか、
そもそも、人とはそこまで関わろうなどと思わなかったのに。
斜に構え、自分の人への優位性ばっかり探していたのに(あー、
それが一切ない!!!!!!
まさに、私がかるくなったことの現れです。
そして私が夢を描いて、愛し、愛を与えれば、
それだけのことです。
さてそれで、そのかるさと愛と喜びを、これから、さらに、
今回できたことを、続けていくことができるか?
世間に対しては、ハードルは高いでしょう。
重いものも、やってくるでしょう。
マウントもあるでしょう。
それでも、かるくなった私には、
だって、かるさが原動力なのだから。
それは重くなりようがないものだから。
重いものの底は、すでに「映って」しまっているのだから。
その虚妄を、包むことができるのだから。
虚妄を包み込み、かるさと愛を、その温度を、ただただ伝える。
お釈迦様の手のひらって、そういうことではないですか?
もう、お釈迦様なんですよね?!
その手のひらは、無限に広がるのですよね?!
(ホントか? 大丈夫か?)
(大丈夫だぁ〜)
(木炭のバーベキューと、薪の火のバーベキュー)
