私は軽くなり、
日々、悩むこともなく、(ホントか?!?!?!)
悩むということは、エゴであることも、すでに書きましたね。
苦しむことが、煩悩であることは、お釈迦様も説いていますね。
四苦八苦とは、人間の、エゴの姿でした。
その四苦八苦、つまり、
生、老、病、死の苦、
それから、
愛別離苦(愛する者と別れる)、
怨憎会苦(ヤな奴と会う)、
求不得苦(求めても得られない)、
五蘊盛苦(人間の活動全般)
の八つの苦悩を見てみると、
これでもか、これでもか、
この言葉を聞くだけで、苦悩でもがいているみたいです。
これを超えることが悟りであって、
そのとき、煩悩の火、つまり苦は、
迷妄、虚妄となって、消えるのですね。
みんな、エゴが絡んでいる、
エゴから来るものであると感じます。
(エゴが「映ったら」、止められるのに・・・)
生存の苦悩が、エゴからの虚妄であって、
それがわかれば、軽くなるのに・・・。
だから、
「色即是空」であって、
大元は何も無い、そして軽い。
そして、
「空即是色」というのは、
その世界のできごとの、空から「映った」姿ということですね。
エゴを理解して、エゴから抜け出せば、軽くなります。
軽いとは、
ひとつひとつ、することが、
自ずと自分の内側から現れてきて、
それだけで十分だ、ということになります。
そこに淀みも迷いもなく、
思うことを実現していくことができる。
この前の友人との、バーベキューの準備も、振り返ってみれば、
でもこれって、先生が仰っていた「自動」の実現ではないですか!
(エゴ者のジョイさんも、そこまで来る事ができた。涙)
(以前にも、一度触れていました)
することはただひとつ、想像によって創造すること。
それも、喜びに溢れ、ワクワクする想像によって。
軽いことの実現とは、
「宇宙の自動の法則」を理解し、
自分が愛そのものの神であることを自覚して、
想像によって創造して、生きるというだけではないですか!
そしてその「自動」は、私一人のことではなく、
宇宙全体を覆っている。
なぜなら私は宇宙の「大海の一滴」だから。
私は宇宙と「大海の一滴」ということで、つながっている。
むしろ一つである。ワンネスである。
そうすると、この「自動」は、
この先何をして、どこへ行こうとするのか???
それはもちろん、
「自動」が現れるままに、現れるだけ、
としかいえないでしょう。
・・・・・・
でも、「自動」とは軽いことなので、
それはもちろん、「苦」から自由ですし、
「苦」を取り除くことになるでしょう。
つまり、すべてを「軽く」するっていうことになります。
私だけが軽くなるってことでは終わりません。
私だけが軽くなっても、
重いものがあって、それと同じ場にいたら、
そしてそれに乗っかられたら、軽くありません。
重いものが軽いものに乗っかってマウントするから、
世界は重くなる。地球は重いままである、
ということでしたね。
だ・か・ら、重いものを取り外すということが、
「自動」の働きになるということなのですね。
そして、
重くなくていいんです。軽くなることができるんです。
もし、少しでも、一滴が浸透することができれば。
でもこれで、地球は軽くなっていくのでしょうか?
つまり、地球は5次元に上昇していけるのでしょうか?
地球から、物質の重いもの、想念の重いもの、
これがなくなれば、
それはそうなんでしょうね。
「軽い」が貫かれると、地球全体がどうなるか?・・・
何と壮大なできごとに・・・。
単にバーベキューに終わることではない(ズルッとズッコケ)
でも先生も、
マスクの強制に従わないことひとつが、
地球が次元上昇するという、宇宙の「自動」
説いていましたね。
偉そうに比べてしまいましたが、(ちょっとムリ
)
でももし、私が軽ければ、
することはすべて「自動」となり、それですべては貫かれる。
友人のためにワクワク喜んで準備したことは、
誰に対しても、
その人と創る関係において、することができる。
だったら、それをするほかはないですね。
私が「軽い」限りにおいて、人に関わることができる。
(エゴ野郎が始めることは、まずここからデスネ)
では、このことを始めていきたいと思います。
重いと見えたものごとに対して、
軽いということをお伝えしたいです。
(だって、重いんじゃないのだから。
(重いと見えたことは、すべて虚妄、なのだから)
(そして世の中のすべては、虚妄、迷妄なのだから)
それは、愛のまなざし、
もっといえば、
「自動」のまなざしを持つということでしょうね。
世の中の人と、世の中のものごとに対して、
「自動」のまなざしを持って、関わる。
(そんな大それた!?)
その「自動」は、宇宙全体を巻き込む。
(スゴい!!!)
「軽い」ことの実現に向けて、
いつも「自動」のまなざしをもって、
軽く軽く関わっていく。
(だって軽くなれるのですから)
(だってエゴ野郎をやめられない人でも、
エゴの眠りから目覚めることができるのだから、
私みたいに)
こうやってあらゆることに向き合えるのは、
私が愛することで、
お釈迦様の手のひらを、実現できているからでした。
それって、
私が神様だとわかったから、
できたということと、同じでした!?!?!?!?
(すがすがしい八ヶ岳)



