皆様こんばんは!
六甲山比賣神社へ行ってきました✨
何年ぶりかな?
以前きた時よりも道が整備されているような…
みのりも大喜び
心経岩。
この大きな磐座に般若心経が彫ってあります。
今のものは大正時代に彫られたものだそうです。
ん?
柴灯護摩の跡か?
この上には足場が組まれているので、あんまり大きな護摩壇は組めなさそうだけど…
このブログはエビデンスもしっかりしてるし考察も特定のバイアスに左右されていない。
このブログを読ませていただく限り、向津媛命は天照大御神とは関係ない=瀬織津姫とは言えない、という結論に至ったわけです。
もちろんこれは学術的な話で、信仰として考えた場合はまた別。
信仰は飽くまで個人的なものなので何を信じ、どう考えようと自由。
クリスチャンに「人間はサルから進化したんだよ!」とわざわざ議論をふっかける必要はないと私は考えている。
そもそも神様の名前なんて人間が考えたものなのだからモナドといおうがテトラグラマトンといおうが、毘盧遮那仏といおうが、天御中主といおうが極論何でもいいと思う。
ただし、特定の宗教のカテゴリーにおいて正統性を主張するのであればそれなりのエビデンスは必要になる。
スピの人達(日本の)はエビデンスを求めずに「誰々さんが言ってたから〜」と言って何でもかんでも習合したがるという特徴がある。
もちろんそれによってこれまであまり光が当たらなかった分野の神仏に光が当たることはあるかもしれないが、それによって捻じ曲げられてしまう古来の理論というものが必ず出てくる。
もちろん密教も釈迦が説いた道からヒンドゥー教の思想や呪術を取り入れて生まれてきたものだから上記と同じかもしれない。
故に上座仏教からすれば鼻でわらわれても仕方ない。
しかも真言宗に関しては御大師様によって神道の概念も取り入れられている。
わたしが真言宗を「日本人の、日本人による、日本人のための密教」と考える所以である。
しかし、じゃあ宗教の目的って何?と考えると、私は人が真理に至るための道筋、と定義している。
道は一つにあらず。
なんか取り止めのない話になってしまいましたが
ありがとうございました!