帯広の東10条に「かぜ」という珈琲屋さんがあった

 

(借り物の写真です)

 

昭和60年頃、学生だった私は、日曜日の午後によく彼女と店に行き、珈琲を飲みながら、店内に流れる静かな音楽を聴くのが楽しみだった

いつも窓際の席に座って、冬は暖かい日差しを受けて、次に観る映画の話をしたり、CASIOPEAのLIVEや新譜について話すことが楽しかった

 

ちょうど、この席が指定席だった

(すみません、これも借り物の写真です)

 

ひげを蓄えたマスターが一人で切り盛りしていて、食べ物のメニューは無かったと記憶している

 

珈琲が飲めなかったお子ちゃまな自分は、はじめのうちは紅茶を注文していた

Darjeeling、Assam、ティーポットで出てくる紅茶はちょうど二杯分、得した気分だった

 

でも珈琲を入れる時に店内に漂う温かい香りに誘われて、飲みやすいブレンドに挑戦し、そこからはもうずっと珈琲派ような顔をして、いろんなストレートを飲んでみる楽しみを知った

 

昨秋、帯広を訪れた際に、レンタカーを借りて市内を散策したが、「かぜ」で珈琲を飲むことは叶わなかった

 

マスターの似顔絵が描かれた深緑色の看板は無く、目印になっていた丸い玄関構えの建物の入り口も閉鎖されていた

 

Web検索をしてみると、2015年頃までは奥さんが店を続けていたようだが、それ以降の情報には辿り着かなかった

 

2008年に書かれたblogにマスターとの会話を載せている方がいたが、そのやりとりは物静かなマスターの語り口を思い出させる素敵な内容だった

 

マスターの名前は聞いたか聞かなかったかも忘れてしまったが、上條恒彦に似た風貌の落ち着いた方だった

上條恒彦、若い人は知らないでしょうね、木枯し紋次郎の主題歌を歌っていた渋いおじさん歌手(俳優もしていたかな)

 

昭和62年の春、就職が決まって、帯広を去る時に、最後に挨拶に行ったことを思い出す

 

地元に帰っちゃうんだね、寂しくなるなぁ…、元気で頑張ってね

そんな言葉をかけてもらったと記憶している

常連のような顔をして通って来ていた学生と同じような別れを毎春繰り返す

そんな中でマスターは、何を思っていたのだろうか

 

玄関が完全に閉じられた円柱状の建物を見て、青春を懐かしむにはあまりに長い時間が経過していたんだなぁとほろりと来そうになった秋の夕暮れだった